日々の進歩

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圧力鍋との思い出

もう処分してしまったのだが、俺は一人暮らしを始めた当初は
圧力鍋を愛用していた。これを使ってご飯や大豆、小豆、じゃがいも
などをよく調理していた。

これを使うとね。あっという間に料理が作れる。
例えば白米だったら、水を入れて吸水させておいたお米を沸騰させて
2,3分待つだけで、ふっくらしたご飯を炊ける。玄米も試してみた
ことがあったけど、これも「沸騰した状態から5分」待つだけで、
きちんと食べやすい柔らかくなったご飯を作れた。

ただしこれも、一人暮らしのライフスタイルの変化に伴い使う頻度が
減っていった。最初のうちは無理して「お米だけでも自宅で炊いて、
買ってきた惣菜と組み合わせて食べよう」みたいな感じで工夫して
自炊の習慣を復活させようとしたけど、それでも無理だった。
やはり「自炊をしたいという意欲」そのものが落ちているときは、
いくら工夫を重ねても、決して「大きな流れ」に逆らうことはできな
かった・・・。

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もし再びサッカーチームに入るとしたら

俺は当分の間、社会人サッカーチームに再入部したいとは思わない。
「究極の身体を目指す」という新たな目標も手に入れたし、それ以外の
問題を解決するので精一杯だから。だがここでこの社会人チームでの
経験を次に生かすために「もし次にサッカーチームに入るとしたら、
どんなことを意識したいか」について書いてみたい。

その1 暖かい雰囲気
やっぱり俺には「乱暴でパワーにあふれた、普通の男たち」の集団とは
気が合わない。この経験で俺はそんな思いを強くした。俺がサッカーを
始めるときは、俺の失敗を見下してギャハハと笑うタイプの人間では
なく、暖かく受け入れて励ましてくれるような人たちとつながりたい。

その2 年齢
同時に俺は気が付いた。「俺は、人の上に立つタイプの人間だ」。
誰かの元で、黙って指示に従い作業をこなすタイプの人間ではない。
俺は単純作業が苦手だ。ただし頭を使うのが得意。
小さなことに配慮し、全員が平等になるような心配りもできる。
俺は「優しいリーダー」になれるタイプの人間だ。

だから必然的に、年上ばかりが集まった集団には入らない方がいい。
俺がそんなチームで「リーダー」の立場を任せてもらえる可能性は
非常に低いから。俺自身もそんな人たちを前にしては、自分の本来の
力をきっと出せないだろう。

その3 話し合い
やはり「俺の意見をきちんと口に出して言える」ということ。
非常に重要であるみたいだ。俺はこの経験から学べた。
高校時代までの俺は、自分を消して黙って他人に従うことができた。
でも俺は知ってしまった。「自己主張する喜び」を。
HPを作成し、それが多くの人から評価されて「自分の意見を口に
出して言うことの大切さ」を学んでしまっていた。
だからもう、これまでのように「だれかの意見に対して黙って素直に
従い続ける」なんて真似は決してできないだろう。
やはり少なくとも「俺が、俺の意見をきちんと口に出せる。その俺の
言葉をみんなが聞いてくれる」という雰囲気があって欲しい。
最終的なチームとしての結論が、俺の主張と合わなくてもかまわない。
きちんと俺の言葉を周囲に聞き届けてもらえていれば。
俺自身がその「チーム全体としての決定」に納得できていれば。
俺は自分の意見を引っ込めて引き下がることになんの躊躇もない。
俺は「自分の意見を力ずくで押さえ込まれる」のが嫌いなだけで
「きちんと検討してもらったうえで、俺の提案が却下された」ので
あれば、喜んでチームの決定に従う。

サッカーに限らず。
将来的に俺が何らかの集団に属する場合は。
この3つの条件を満たした世界に入りたい。


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社会人チームでの出来事

僕がその社会人チームでどのような出来事があったのかは、詳しく
触れない。ただここで「なぜ俺がそのチームを去ることになったのか」
について詳しく述べてみようと思う。

理由1 年齢
俺はそのチームに、「草サッカーネットワーク」という掲示板サイト
の書き込みを見て問い合わせをした。それの中には
「メンバーの年齢 18歳~30歳程度」と書かれていた。
当時19歳だった俺は「ああ、これならまあ何とかなるな」と感じて
問い合わせをした。だが、実際に参加してみると・・・
18歳の人間はたった1人。しかも同じチームに所属する人の兄弟。
その「18歳の人」を除く全ての人間は25歳以上。
・・・
俺は詐欺かと思ったよ。正直騙されたと感じたね。
周囲の人間とは話が合わず、その18歳の人も兄と会話してばかりで
俺一人だけが孤立した。人間関係がちっとも楽しくなかった。

理由2 チームメイトの雰囲気
彼らは不幸にも、俺の大嫌いな「人の失敗を嘲笑して、ギャハハと
笑う」タイプの人間たちだった。しかも荒っぽくて、適当で、
管理が行き届いていない集団を作っていた。

例を挙げよう。俺が参加したある日の練習試合の帰り道。その会場は
千葉県だったので、俺は彼らの車に乗せてもらって近所まで送って
もらった。そのときに驚いたのが、彼らの運転が荒っぽいこと。
道を曲がるときに「ドリフト!」とか言いながら猛スピードで
ハンドルを切ったときには正直、すごく驚いた。
「おい、人をひき殺さないか?危ないんじゃないのか?」って
すごく不安だった。しかもその他のチームメイトたちはそのスリルを
楽しんでいる。この時点で俺は彼らに対する評価を大きく下げる
ことになった。

ほかにも彼らが「荒っぽくて、適当だ」と感じられた出来事は
いくつもあるけど、とりあえず今挙げるのはこの体験だけにしておく。

理由3 練習方法
このチームの人たちは非常に研究熱心で、「どのような戦術を使えば
試合に勝てるだろうか」みたいなことを活発に議論していた。
非常に良い雰囲気だと感じた。
だが、俺がそこで感じたのは「なんかズレてるなー」ということ。
言葉では言い表すのは難しいんだけど、議論の進み具合や、議論の
結果導き出された結論が、少し変だ。
俺が「それって、おかしいんじゃないですか?」って突っ込めれば
良かったんだけど、それが「議論を重ねた末に、出された結論」で
あるがゆえに、立場上口を挟めない。俺は心にわだかまりを抱えた
まま、彼らの練習メニューに従うことになった。

例えばだね。俺が最後に参加した練習でやらされたのは
「高く上げたボールを、2人で競り合う」という練習メニュー。
これ自体は別に悪いことではない。だがそれを、この俺にまでやるよう
強制されるんだ。俺はドリブラーだよ。しかも背が低くて、体も細い。
「ヘディングで競り合うこと」というのは、俺のプレースタイルに
とって不必要な行為だ。

だがそれでも「お前は背が低いから仕方がない」と理解してくれた
上で、それをさせるのなら納得できる。だが彼らが俺に対して
何をしたと思う?当然俺は背が低いから、競り合いに負けてばかり
いた。そんな俺に対して
「もっときちんと競り合いなよ!」
「身体を張れ!」
「逃げるな!」
と罵声を浴びせるばかり。こっちが「自分より1まわり2まわりも
大きな人間と、全力で競り合う行為」をしてへとへとに疲れて
いるのにも関わらず。そのせいでパフォーマンスが目に見えて落ちて
いるにも関わらず。彼らの言葉はいつも「もっとがんばれ!」で
あった。
背の低いドリブラータイプの人間にヘディングを長時間練習させて、
何になるんだろう。

俺はそんな不満を感じながら。
でもそれを直接言い返すこともできずに。
ただ黙って苦しい練習を続けた。

もちろんこの俺の主張は誤りかもしれない。俺が問題にしたいのは
「俺が疑問に感じた言葉を、素直に上層部へ口に出して言えない」
ということ。俺がこの不満を彼らに直接主張して、俺が納得のいく
まで話し合ってくれたのなら。ある程度は理解できただろう。
だがこちらの立場は「ただの新入部員。他のチームメイトより
圧倒的に年齢の小さい、立場の弱い人間」。
彼らに俺の主張を堂々とぶつけられるような雰囲気では決して
なかった。

俺はこれでも、自分なりのサッカー観をはっきりと持っている。
「サッカーステーション掲示板」という場所でも、それを存分に
発揮してのアドバイスをしている。だがその俺の心に抱くその主張を。
雰囲気により、上から押さえ込まれるというのはものすごくストレス
だった。

だから、俺が今度サッカーチームを選ぶときは・・・
(続く)

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サッカーボールにまつわる物語

俺の部屋にはサッカーボールがある。以前も話したけど
今度はそれに関する、社会人サッカーチーム入団前後の物語を書いて
みようと思う。

俺が社会人チーム「B」の練習試合に参加すると決めたその当日。
俺はその日のうちに、渋谷のスポーツショップへ行った。そして
約6千円で、ジャージを購入した。俺はいつかサッカーを再開する
ときのために、必要最小限の道具は用意しておいたはずだが、それでも
「ジャージ」だけは足りなかった。俺の出身であるK高校の統一ジャ
ージ(青)を持っていたが、さすがに卒業した今にそれを着て町を
歩くのは気が引ける。だから買うことにしたんだ。
その店の店員さんは新人さんらしく、俺が「これにします(このジャー
ジを買います)」と言ったら、ものすごく嬉しそうな顔をした。

そして次の日から、練習に参加した。
・・・(続く)

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テレビとの思い出2

そして同じ時期に、俺が深夜に何気なくテレビをつけていたら出会った
人物がいる。それは甲野善紀さん。古武術の研究家だ。彼がNHKの
番組で、小学校に訪問しての特別授業を行う様子が放映されていた。
子供たちが「床に座った友達を引っ張り起こす」とか、様々な日常動作
を甲野さんの指導に従って学んでいった。そうすると彼らは、
驚くほど簡単に友達の体を持ち上げることができたではないか!

俺と甲野善紀さんとの初めての出会いは、この番組だった。

そしてその翌日から、俺は甲野善紀さんの著作を探して徹底的に
読んだ。実技についての解説はちんぷんかんぷんだったが、彼の
「修行に対する精神的な心構え」とか
「自分の未熟さを自覚し、常に謙虚であることの大切さ」などを
学ぶことができた。それと同時に、俺は人生の目的のようなものを
彼の姿から再発見した。

俺は、燃え尽きてしまっていたのだよね。
高校サッカーを3年間やり終えてから、自分の全てを出し終えて
しまったような、物足りなさを抱えていた。もう一度あの時期のような
充実感を取り戻したい。でもすでにサッカーの試行錯誤はゴールに
達している。だったらどうすればいい?
ずっとそう悩んでいた。その悩んだ末の「社会人サッカーチームへの
入部」だった。

だが、俺は出会ってしまった。
かつての「サッカー判断能力向上のための試行錯誤」に変わりうる
新しい世界に。その名は
「究極の体を目指す」というもの。自分の身体能力を限界まで高め、
古の超人たちと同じ世界にたどり着きたい。俺も甲野善紀さんと
同じように、そんな願望を持つようになった。

それ以来。俺の人生にとって「身体能力を高めるための試行錯誤」と
いうのが、大きなウエイトを占めるようになった。まだまだ日常生活は
辛くて仕方がなかったが(今でもそうだが)、それでも一歩分前進で
きた。自力で「歩きを極める」というトレーニングメニューを作って
からは、毎日のように歩いたよ。5,6時間くらい。おかげで毎日
足が筋肉痛になり、それでも「歩く」という行為をやめることは
不可能だから、足が痛くてもそれでも歩き続けた。ほんとに異常とも
言える「歩きを極める」のトレーニングへの執着だった。

そのトレーニングを続けた結果として。
俺の歩く姿は驚くほど美しくなった。
体の無駄な力が抜け、すーっと一本の線が体の上下を貫くように
存在しているような立ち方(歩き方)ができるようになった。
途中無駄な力が抜けすぎて、足がフラフラ(不安定)な足取りに
なってしまった時期もあったが、高岡英夫さんの「側軸」のトレー
ニングを行うなどしたら、それも収まった。
今の俺も「歩きを極める」のトレーニングを継続している。
小さな修正は、もう何百回と行っただろう。それでもずっと変わる
ことがなく。「究極の身体」を目指したトレーニングを続けている。

この道を教えてくれた甲野善紀さん。
そして、具体的な道筋を教えてくれた高岡英夫さんに、心より
感謝したい。あなたたちのおかげで、俺は命を救われた。
生きる意味、生きる理由を再び取り戻すことができた。

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テレビとの思い出

俺の部屋にはテレビがない。サッカーのドイツW杯が終わったことを
きっかけにして、思い切って処分した。
なぜならば、ほとんどテレビを見る機会がなかったから。
俺は実家で家族と暮らしていた時期も、自分から進んでテレビを
つける人間ではなかった。食事を食べるときも、ただ食べることだけに
集中するのが一番いい。そういつも思っていた。
一人暮らし直後は「NARUTO」など、以前から見ていたアニメ
を見続けていたが、展開がつまらなくなっていった結果として俺は
次第に見なくなった。ちょうど粗大ゴミを一気に処分している時期
だったので、業者に頼んで捨てることにした。

だが、このテレビのおかげで出会えたものが2つある。
この2つによって、俺の人生が大きく救われた。
今回はそのうちの一つ。「ホーリーランド」というドラマ
(原作はマンガで、いまも「ヤングアニマル」という雑誌で連載中)
について書いてみる。

ちょうどこのドラマに出会ったのは、2005年の2月頃。
社会人サッカーチームに入部したことがきっかけで、俺は昼夜逆転の
不安定な生活リズムになっていた。そんな深夜1時。俺は何も
やることがなかったので、何気なくテレビをつけてみた。

そうしたらそこで、若者たちのケンカのようなドラマが放送されて
いた。俺は「ん?このストーリー、どっかで見覚えがあるぞ?」と
感じた。それを見続けていると、その感覚は確信へと変わった。
のちに知ることだが、このドラマは「ホーリーランド」という
マンガを原作にして作られた物語だった。

俺は以前、ある本屋でその第一巻を立ち読みしたことがある。
「ケンカの詳細な解説」と「リアルな戦いの描写」がすごくいいな、
と思えたマンガであった。しかしタイトルを覚えたわけではなく、
そのまま元の棚に戻して、本屋から出て行った。買いたいと思うほど
の内容ではなかった。

だがその時期の俺にとって。
この「ホーリーランド」のストーリーは驚くほど身に染みた。
何より主人公の「神代ユウ」の生い立ち、そして性格が俺と
瓜二つだったからだ。
学校でのいじめ。
絶望的な状況。
そこから、あるきっかけにより立ち直る。
その「絶対の孤独感」をばねにして驚異的なトレーニングを積む。
その結果として、周囲から恐れられるほどの圧倒的な実力を兼ね備える
ようになった。
だがそれでも、神代ユウ自身は決して救われることはない。
自らが救いに求めた「暴力」そのものの力によって、さらなる困難へ
次々と巻き込まれていく。

ちょうどこのストーリーが、俺と全く同じだった。
俺は高校時代の苦しみの中。たった一人で努力し続けた。
その結果として、自力で生活できるだけの収入を、HPから手に入れる
ことができた。
ああ、これで俺の目標は達成した。
そう安堵したのもつかの間、こんどは別の苦しみが俺を襲うように
なった。孤独。無気力。寒さ。周囲からの批判。生きる道への疑問。
全てが俺の心を強く締め付け、どうしようもない状況にまで陥った。

そんなときに出会ったのが、このホーリーランドという物語。
「苦しくても、苦しくても、もがきつづけるしかないんだ」
そんな風に俺の心を奮い立たせてくれた。
目の前の現実は何一つ変わらなかったが、俺の心はすごく救われた。
まだだ。
まだ俺は救われていないんだ。
だからこれからも自分の道を歩き続けるんだ。
そう思いなおすことができた。

それまでの「これでやっとゴールにたどり着いたのに、どうしてまだ
俺は幸せになれないんだ!」って思っていた。
だがその俺の考え方は、間違いだったと気付けた。
次がある。
次の目標へ進まなくては。
この程度で俺の人生、変わるはずがない。
まだまだもがきつづけてやる。
そんな決意を新たにした。

そんな日々が、今も続いている。
新たな発見。すばらしい本との出会い。
これまでいくつもあったけれど、まだ本当の苦しさは少しも消えて
いない。これから俺がどこへ運ばれていくのか分からない。
だがいつかこの「ホーリーランド」に出会えたときのように。
これまでの俺が予想すらしなかったようなものに出会えて、それが
きっかけとなり、俺の人生が予想外の方向から開けていくことを願う。

これまでの人生、俺はずっとそうだった。
「おそらく、将来はこんな風になるんだろうな」と未熟な時点の俺が
思い描いた将来のビジョンは、ほぼ確実に外れた。
「小学校の先生になる」と思っていたが、それは俺の夢ではなくなった。
「プロサッカー選手になってやる!」というかつての夢も、今の俺には
サイズ違いとなった。
「一人暮らしで、自立できる収入を手に入れるんだ!」と思っていた
時期もあったが、今の俺はその現在時点での成功を手放すという道を
進むことにした。

これから、俺はどうなるのだろう。
まだ分からない。
俺が予想することは不可能だ・・・

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人は物忘れする

俺は1ヶ月に2,3回は国語辞典を引く。書こうと思った漢字の
書き方が分からなくなることがあるからだ。

別に俺はこれを特別なことだとは思わない。「あれ、○○ってどんな
漢字だったっけ?」って忘れてしまうことは、俺の場合小学生のとき
でも起きていた。それが中学、高校、そして今とずーっと同じように
続いているだけのこと。

よくいるよね。
「あー、俺も年だなー」って嘆く人。
ちょっとした小さなことを忘れていると指摘されたとき、こんな風に
愚痴を言う人。
俺は、この人を理解できない。
人は誰もが物忘れする。
忘れたなら、再び覚えればいいだけのこと。
そんな作業をずっと行い続けるのが人生ってものでしょう。

新しいことを学ばなくなったとき、その人の成長は止まる。
イスの上でふんぞり返って、他人にあれこれと指示を出すだけの人間に
なる。「人というものは、こうあるべきだ」という他人の借り物の
意見だけを、偉そうな顔をして述べるだけになる。

日本サッカー協会に、川渕三郎さんという人がいる。
その人のインタビュー記事を何度か見たことがあるのだけど、もの
すごく分かりやすい。この人70歳以上なんだけど、20の俺でも
簡単に分かるような言葉でしゃべっている。

ところが。学問風の難しい言葉を駆使して、分かりにくい回りくどい
説明をする人というのは多い。このような言葉を使われても俺は、
決してその人のことを尊敬できない。
「もっとわかりやすい言葉で言えるはずなのに、どうして必要以上に
難しい言葉を使うの?」っていつも思ってしまう。
俺の尊敬するTさんや、Kさんにもそういった側面はある。

俺は、常に「小学生でも分かる簡単な言葉」を使って、この世の
難しい理論を説明していく試みを続けたい。
本当に知識を必要としているのは、低年齢層の人間。
今真剣に知識を求めて、自分の人生を向上させたいと願っている
純粋さを残した人間。
彼らに向けた文章を書き続けたい。
そう思って作りあげたのが俺の2つのHPおよび、このブログ。
まだまだ難しくなってしまう部分はあるけれども、「分かりやすい
文章を書く」試行錯誤はこれからも続けていく。
「10の言葉で言い表せる説明」を、「どうすれば8語で、もう少し
スッキリした文章に書き直すことができるだろうか」
みたいなことは、毎日考えている。

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パスポート物語

俺は身分証明書としてパスポートを使っている。別に外国へ旅行
するわけじゃない。ただ身分証明書として使うためだけのために
俺はパスポートを取得した。

俺がパスポートを取ろうと思ったのは、高校卒業後。学生証の期限が
切れて、俺の身分証明書がなくなった。もちろん親の持っている
「保険証」というものはあったが、それにはなるべく頼りたくない。
そこでいろいろ調べてみた。ネットでね。そうしたらやはり
「パスポート」が一番いいなという結論に達した。

そこで俺はパスポートを申請しようとしたが、できなかった。
なぜならば必要条件として「写真つきの身分証明書」が必要だった
から。俺は保険証しか持っていなかったので、そこで立ち往生した。

しかし解決策を見つけた。それは「写真つきの住民基本台帳カード」。
これを取得してパスポートの窓口に提示すれば、それでOKらしい。
だから俺はパスポートの手続きの前に、東京都大田区で
「写真つきの住民基本台帳カード」の手続きをした。1週間程度の
時間がかかったあと、無事手に入れた。

そしてそれを使い、パスポートを取得した。
有楽町のパスポート申請所には何回も通ったな。
小切手とか、戸籍謄本などにも少し詳しくなった。
(パスポート取得の際に必要です)

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部屋の家具6

俺のパソコンの右隣にはADSLモデムがある。そこからLAN
ケーブルが俺のPCとつながっている。
今回は、俺は一人暮らしを始めた直後の、インターネット回線開通
前後についての話をしよう。

以前話したとおり、俺は一人暮らしを始めるまでは実家(大田区)の
インターネット回線を使用していた。それでレンタルサーバーを
借りて、高校卒業直前にはもうHPを運営し始めていた。
俺は一人暮らしのアパートでも当然インターネットを使えるように
なりたいから、すぐに申し込んだ。俺が頼んだのはDION(KDDI)
のADSL回線だ。

順調に手続きは進んだ。
「身分証明書をコピーしてFAXで送信してください」と言われた
から、近くのコンビニでパスポートをコピーし、同じくその機械で
KDDIの会社へFAX送信した。しかし、それ以降いくら待っても
音沙汰がない。仕方なく直接問い合わせしてみると
「登録住所が分かりません」と言われ、さらに「あなたが直接
NTTへ電話して、調べてください」とまで言われた。

だから俺は指定された電話番号へ電話し、住所を質問した。
すると確かにその通りで、アパートの名称が少しだけ違っていた。
だから俺はそれをKDDIの人へ教えた。

そうしたらしばらくして。「10月13日(?)に回線が通じます。
NTTの職員の人が、小さな作業をしにやってきます。料金を
取られることはありません」という手紙が俺の元に届いた。
(日付は少し違っていたかも)

そしてその指定日には。予定通りNTTの人が来て、簡単な作業を
して帰っていった。そうしたらその日から、インターネットが使える
ようになったんだ。あの日はすごく嬉しかったね。

それまで俺は自宅でネットが使えなかったので、一週間に一度実家へ
もどり、そのパソコンを使って仕事をしていた。「週に2日」の
送信予定だった無料メルマガを臨時で「週に1回」に変更して、
なんとか仕事を続けていた。必要なデータをフロッピーディスクに
保存し、それを持って実家へ帰る。そんな作業を毎週続けた。

だがその日以降。そんなことする必要はなくなった。
家の中で。
パソコンが使える。インターネットが使える。
そんな当たり前の喜びを噛み締めた瞬間だった。

そして今も、こうやって家でパソコンを使っている。

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部屋の家具5

次は俺の座っているイスについての話をしよう。
俺がこのイスを買ったのは、2005年の春あたりかな。
色は黒。クッションの部分は青色で、背もたれの付いた普通のイスだ。
神奈川県江田の、家具店で購入した。

俺は2004年までは、東京都大田区に住んでいた。家族と一緒に。
だたし9月に入ってから、一人暮らしをするために世田谷区の
今のアパートへ引っ越してきた。その後も俺以外の家族はそのまま
住み続けていたが、10月に彼らは神奈川県の横浜市に引っ越した。
父の会社のの都合らしい。しかし彼が転勤したわけではなく、今も
これまでどおりの会社へと通勤している。

もともと俺が引っ越した表向きの名目は、その「江田のアパートが
(大田区のよりも)小さいから、お前が出て行ってくれ」という
お願いだった。こちらとしてもいつまでも親のすねをかじっている
わけにもいかなかったから、願ったり叶ったりの話だった。
その後俺は地道に不動産屋へ通い、物件を購入した。
最後のときだけ保証人として父親に来てもらったけど、それ以外は
基本的に一人で探し続けた。

今思えば。あの当時はものすごく不安だったと思うよ。
「ただの一人の高校生」が「役に立つかどうか分からない豆知識」
を武器に「自力で生活できるだけの収入を手に入れる」ことを目標に
して、なかば強引に出発した。
ちなみに俺が今の道へ進むと決めたのは、高校3年の夏頃。
俺の2つのHPに書いたような「劇的な大成功!」はもっと後の
2003年10月のことです。あの「10月13日の練習試合」
と「11月の引退会見」はね。

我ながら、どうしてあのような決断ができたのか不思議に思うよ。
父親が「お前にそんなこと、できるはずがない!」って言ってきた
気持ちも分からないでもない。冷静な今の俺から振り返ると。
だが、俺はそれを成し遂げてしまったのだよね。今の俺は収入が
減って困っているけれども、独立してか1年以上はずっと黒字の
収入をキープし続けた。引越しをした直後は30万円程度の貯金を
持っていたが、それが去年の今頃には70万まで増えていた。
コツコツ、コツコツと少しずつ少しずつ俺の貯金は増えたよ。
あの時期はほんと、嬉しかったね。
こんな俺でも。
社会で活躍することができる。
高校時代ずっとレギュラーになれず、日陰でほそぼそとサッカーを
していた俺が。
「対人恐怖症」「人見知り」のHP業界において、圧倒的な存在感を
示せている。自惚れかも知れないけれど、俺のHPと、ライバルサイト
とを比べると。俺のHPは決して劣っているとは思えない。
勝っているのかどうかは不明だが。
でも高校時代の「一番下のチーム」。中学校時代の「いじめの対象」と
比べれば、すごい進歩だ。
俺が、社会の一員として周囲に暖かく受け入れられたことは本当に
嬉しかった。
HPを立ち上げた当初はまだまだ未熟で、今と比べれば恥ずかしくなる
ほど質の悪い文章を書いていた。
それでも多くの人は俺の「無料メルマガ」を受講し、「有料の講座」も
受講してくれた。いまでも彼らには非常に感謝している。

例えば俺のサッカーのHP。今のそれの構成は
「頭を使いながら、考えながら努力しよう」がメインテーマである。
だが、立ち上げた当初はそんなものではなかった。
「俺はレギュラーになれなかった。だからまともな練習環境さえ
与えられず、ずっと苦しかったんだ!」っていう俺の不平不満を
ぶちまけただけ。ただの愚痴だったよ。

少しずつ。少しずつ改良を繰り返して。
今のような形に落ち着いた。
多くの人からほめていただき、非常に感謝している。

ここで俺は、「ガムシャラに走る」のはやめようと思う。
足を止めて、周囲に苦しみのサインを発信するという道に出た。
最悪の場合俺は餓死するだろう。
だが俺は止まるつもりはない。
俺自身が上へ這い上がれるきっかけを掴むまで、見苦しくても
泥臭い行動を取り続けるつもりだ。
長い長い間悩んだ末に、俺が決めたことだ。
そう簡単には変えるつもりはない。

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部屋の家具4

俺のその机の上にあるパソコン。かったのは2004年の1月だ。
いまふと思い出したので、その思い出を書いてみる。

俺は2003年9月あたりに、家族に向かって
「俺は大学へは進学しない。HPを作ってその収入で生きていく。
もしダメだったらバイトをしてでも夢を追いかける」と打ち明けた。
しかし両親は「ダメだ!ダメだ!」の一点張り。
そこで俺はセンター試験を申し込まないという
強制行動に出た。この時点で俺の、国立大学への受験はほぼ不可能と
なった。さらに「もし家のパソコンを使わせてもらえないのなら、
家の周囲でチラシを配って自力で商売することも考えるぞ!」と
脅した。彼らは真っ青になって「それはやめろ!絶対に!」と
静止して来た。

しばらくしたら親はしぶしぶ「今年(2003年)中に親としての
結論を出すから、それまで待ってくれ」と言ってきた。
同時にホームページ作成のための(親の)パソコン使用も禁止された。

この時期は非常に辛かったね。
「まあ、仕方ないか」という気持ちでノートにアイデアを書きとめる
などして準備を進めていたが、やはり「実際にパソコンでの作業が
できない」というのは非常に苦しかった。自分のパソコンを買っても
いいとは思ったが、この時点でこれ以上親の神経を逆撫でするような
行為には走らない方がいいと思ったので、パソコンを買わずに
そのまま年末へ突入した。

そして、12月31日。大晦日。
俺はその他3人の家族が別の部屋で紅白歌合戦を見ている中。
父に別の部屋へ呼び出された。
彼の、両親の結論は「家のインターネット回線を使ってもいい。ただし
家のパソコンは使うな」ということだった。まあ当然のことだね。

だから俺は、1月の3日。秋葉原へパソコンを買いに行った。
直前に地元の郵便局で、10万円の定額貯金を解約して、軍資金を
調達してきた。

秋葉原でいろいろパソコンを見ていった結果、俺は
7万8千円のSOTECのパソコンを購入することにした。
さらにキャンペーン価格で7万3千円にまで値下げしてもらった。
(ラッキーだったと感じる)

そのパソコンを今も俺は使っている。
ちなみに使い始めてから半年後あたりに、キーボードのある一部が
壊れてしまい、使えない。このパソコンは「画面、キーボード、本体」
がすべて一緒になっているタイプなので、交換は効かない。一応
USB式のキーボードを買って取り付けてみたりはしたが、結局
俺のパソコンはそれを受け付けなかった。マウスで動かしたり、
文字を変換するなどすればそれで全ての文字は打てるので実質上
困らないのだが、それでもやはり不便だ。
例えばキーボードの左上にある「半角/全角」キー。
押しても全く反応しない。
同じく「無変換」のキーも動かない。
だから俺は使う文字を変更するとき、わざわざマウスで画面にある
ツールバーをクリックして変更している。

さらに「↓(矢印下方向)」のキーもまったく使えない。
だから俺はマウスでスクロールさせたり、上方向の矢印を何回も
叩くことで、画面を下へ動かす。
おかげで「PageDown」というキーもよく使うようになった。

できればパソコンも買い換えたい。だが俺の貯金は前にも言った
とおり、11万円程度。これを買ってしまってはお金が不足する。
それほど致命的な困難がおきているわけでもないので、このまま
使い続けるつもりだ。

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部屋の家具3

俺がパソコンを乗せて使っている机について解説しよう。
一応これは折りたたみ式の机なのだが、俺は面倒なのでその上に
常時パソコンを置き、つねにそのままで使用している。
引き出しは向かって右側に4つ。そして向かって左側に何もない
空間があり、そこに足を入れてパソコンを操作している。
机の脚にはキャスターがついている。だから掃除をするとき
簡単に移動できてとても便利だ。

俺がこの机を購入したのは、三軒茶屋の西友だ。そのときに
大きな学びとなる出来事があったので、ここで書いてみよう。

俺はこの机を、西友の4階あたりの家具売り場で購入した。
「宅配便で送ることもできますが、どうしますか?」と聞かれたが
俺は「いいです。自分の手で持って帰ります」と断った。
それからそのキャスターをゴロゴロと転がして自宅へ向かったのだが
ものすごく疲れた
アスファルト、舗装道路の上を転がし続けているとものすごく腕が
痛くて辛かった。俺の家までその西友まで、普通に歩いて20分くらい
かかるのだけど、その机を転がしながらだと1時間以上かかった。
腕が痛くて、逃げ出したいと思うほど苦しかった。
でも一度言い出したことだからと、最後までがんばってやり遂げた。

俺はそんな苦しい移動の中。
「俺の何がいけなかったのだろう?どうすればよかったのだろう?」
と悩んでいた。そうしたらスッと答えが出た。
「もう少し、他人を頼ってみたらどうか」
俺一人で全てを背負い込むよりも、必要に応じて他人、業者の方に
お願いし、お金を払ってでも手伝ってもらう。そうすれば俺の苦労は
少なくなる。そう発見したんだ。

それまでの俺は「お金がもったいないから・・・」とか「人付き合いが
わずらわしいから」という理由で、他人(業者など)にお願いする
ことを極力避けてきた。だがこの出来事のあと、俺は
「あまり無理をせずに、他人に頼ってみよう」という発見をした。

だからそのあと。俺は以前使っていた机を処分するとき。
世田谷区の粗大ゴミ処理ではなく、リサイクルショップの人にお願い
して直接引き取りに着てもらった。世田谷区の場合の料金は800円
だったが、この業者にお願いしたら2万円かかった。
そのほかにも電子ピアノと、イスも引き取ってもらったので、値段
自体はそれほど高いわけではない。
業者の人に部屋まで来てもらい、彼らは机を壊して分解し持ち去って
くれた。

ちなみに俺は以前、世田谷区に頼んで冷蔵庫を処分してもらった
ことがある。(正確には、家電リサイクルセンターという場所)
そのときは自力で冷蔵庫を部屋の外へ出した。たった一人でね。
階段の下へ冷蔵庫を下ろすときは、正直ものすごく怖かった。
俺の冷蔵庫は一人暮らし用の小さなサイズとはいえ、かなり重い。
このままバランスを崩して、俺が階段の下へまっさかさまに落ちて
しまったらどうしよう。そうものすごく恐ろしかった。幸い
うまい運び方をひらめいたため、何とか下へおろし、道路わきまで
持って行くことができた。だが内心冷や汗物の移動だった。

俺はこの冷蔵庫の経験があったから、その学習机についても自力で
下へ運ぼうと思っていた。だがこの「新しい机の購入」の出来事が
あってから。「無理をせず、業者に運んでもらおう」という気持ちに
なった。もちろん俺が無理をして運べば、一人の手でその古い机を
外へ持ち出せたかもしれない。だが疲れるだろうし、精神的に
非常に疲弊するのは確実だった。その点俺は業者に頼んだ結果として
何の苦労も感じることなく、その机を処分することができた。

人は進歩していく。
失敗を、苦痛を学びとしていくことによって。
俺はこれまでもそうだったし、これからも変わらない。
日常生活の小さな苦痛、出来事に耳を澄まし
自分の生活を高めていく作業を続けたい。
そうすれば、少しずつ。
俺は人間としての高みに登っていけるはずだ。
小さな試行錯誤。
圧倒的な量の、試行錯誤。
それが自分にとっていずれ、大きな力になることは
すごくよく分かっている。
昔、経験したことがあるから。

だからこれからも、同じやり方を続けよう。

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部屋の家具2

俺の部屋には電子レンジもない。これも去年、粗大ゴミを
一括処分しているときに、ついでに捨てた。
コンビニで温めてもらったあと、それをすぐに食べるだけで事が
足りるから。

俺の今の食生活はとてもシンプル。
コンビニ、スーパーで食べ物を買って、それを食べるだけ。
以前は「俺は自炊をしていない・・・」という罪悪感というか
劣等感のようなものを感じていたのだが、最近はこう思うことにした。
「自分自身の全体を総合して、プラスであればいい」と。

解説しよう。
俺の「コンビニで商品を買う。自炊をしない」という行為は
確かに社会へマイナスかもしれない。
おにぎりの包装やビニール袋がたくさん出て、地球環境に悪いと
言われればその通り。
ただし、それ以外の行為で「地球のためになること」をたくさん
行えば、その分の元は取れるのではないか?
例えばその「コンビニ食」という俺の習慣が地球にとって「-2」で
あるならば、それ以外の俺の行動で「+10」だけのことを
してあげればいい。そうすれば総合得点は「+8」になり、
俺の存在は地球にとって良いものになる。

この世に完璧な人間など存在しない。
人は誰しも欠点を持っている。
だったら、それを補うだけの長所をこの世に示せばいい。
その長所で、短所が他人に与えるマイナスの影響以上のプラス効果を
社会へ与えればいい。
そう考えたとき、俺の心は軽くなった。

前にも言ったが、俺はすごくアンバランスな人間。
人間として非常に立派と思える側面もあるだろうし、その反対に
幼稚で未熟な、他人に迷惑をかける短所も数多く持っている。
その短所を見つめてただ嘆くよりも、長所を伸ばしてそれを使い
社会へ貢献できたらいいな。そう思うことにしている。
もちろん短所を完全に無視するわけじゃない。俺は俺なりに、
短所を小さくしていくための努力を続けている。でもそれだって
相対的に見れば、俺の「長所」と比べれば大きなマイナスだ。
(だから「短所」って言うんだけどさ)

つまり、俺が「短所のない人間」になるということは、まったく
長所がない、全ての特徴が平均的な存在にならなくてはならない。
そんなこと、不可能なことだよね。

だから短所を気にしすぎずに、自分の長所で他人を幸せにすること
だけに集中しよう。普段の日常生活の中では。
そう考えてみることにした。

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部屋の家具1

いま俺の部屋には冷蔵庫がない。
引越しをするときには「やはり、あった方がいいのかな」と思って
購入したが、次第に使わなくなった。だから去年、粗大ゴミとして
処分してもらった。

理由を説明しよう。
まず大きな理由となったのが「自炊するのをやめた」ということ。
俺は当然一人暮らしを始めるにあたって、「毎日なるべく自炊するぞ
!」って思っていた。だから引っ越してからしばらくは、きちんと
食事を自分で作り続けていた。
献立を考えて、材料を買って、レシピを見ながら一つ一つ丁寧に
作っていく。もちろん下手だったが、俺は研究熱心なほうなので
そのうちうまくなるだろう。そう思って希望を持ちながら料理を
続けていた。

しかし。少しずつ障害が現れ始めた。
まずは「生活リズムの不規則化」というもの。昼夜逆転する、しないを
不規則に繰り返す俺にとって、毎日決まった時間に料理を作るなんて
ことはできなかった。

そして「食習慣の変化」ということ。俺は一人暮らしを始めて
から、食事量が落ちた。「1日3食、必ず食べなくてはならない」
という思い込みから解放されたとき、俺の食生活は変化した。
ごはん、メインのおかず、野菜、デザートなどのきちんとしたメニュー
をそろえていた実家での食卓と比べると、俺の食事は驚くほど
簡素になった。「食べたいときに、体の求めるものを食べてみよう」
と考えるようになってから、野菜をほとんど食べなくなった
コンビニでおにぎり、パン、サンドイッチなどを思いつくがまま買う。
そして食べる。そんな作業だけを繰り返す。それだけでも大丈夫だった
。そんな食生活に変えても、ちなみに病気は一度もしたことはない。
いたって健康そのものだ。

「ああ、野菜・おかずをきちんと作らなくても(食べなくても)、
健康は維持できるんだな」と発見してから、俺は自炊する意欲が
失せた。家庭科の教科書にあるような、理想の献立なんて作る必要は
ないんだ。そう決めたら自然に食事を自炊する決意が消えてしまった。

次第にフライパンは半年以上使わない日々が続いた。
包丁も手に持つことがない。
まな板も、茶色く変色し始めた。

だから俺は「もうこれを使う必要はないな」と思った調理器具を
一つ、また一つと捨てていった。
そうしたら、残ったものは鍋一つ。
お湯を沸かすために使う鍋が、今の俺の台所の下にあるだけ。

強いて「自炊」と言える行為があるとすれば、それは「即席スープ」
くらいかな。ごくごくたまに、それを作って飲む。
おわん、コップは残してあるからそれには困らない。

冷蔵庫に何も入れるものがない日々が続いたので、俺は冷蔵庫の
コンセントを抜いてみた。そうしたら、1年以上そのスイッチをON
にする機会がなかった。だから去年、処分した・・・。

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俺のアパートについて その2

「ではどうしてそんなに悪い住居環境に住んでるの?」って疑問に
思う人がいるかもしれない。だから少し説明しよう。

前にも話したとおり、俺は「自営業」に属する仕事をしている。
だから親元から独立する際、できるかぎり家賃の安い部屋を選びた
かった。だから不動産会社の人に「家賃3万5千円以内で」という
条件で探してもらったんだ。ほかにも家賃2万5千円とか、3万円の
部屋もあったのだが、俺が入居を決定する直前に他の人に取られて
しまったため、この部屋を選ぶことにした。

当時の俺がここを選んだ一番大きな理由は「洗濯機」がついてた
こと。俺たちの共同玄関のさらに奥に、実は共同の洗濯機が
置いてある。大家さんがつけてくれたらしい。俺はこれを見たとき
「ああ、これはいいな」と思った。一人暮らしをする以上、俺は
衣類を洗濯しなくてはいけない。コイン投入式の洗濯機で洗うよりも
お金の節約になるだろう。そう思ったのが決断を後押しした。
部屋のでこぼこも最初に見学した際少し気にはなったが、まあ何とか
なるだろうと思ったのでここに決めた。その気持ちは今も変わらない。
慣れてきたらそれほど苦には感じなかった。

だが、予想外のデメリットがこの部屋にはあった。それはこの部屋が
「北向き」だったこと。だから俺の窓には日の光が決して差し込ま
ない。夏の夕暮れには少し赤い光が斜めから差し込むことはあるが、
それでも1年中、ほぼ全ての時間俺の部屋は日陰だ。
これには少し後悔している。

そして洗濯機の件についても少し。実は俺は今その洗濯機を全く
使っていない。いろいろ洗濯、衣類のローテーションのやり方を
試行錯誤していたら、「洗濯機は使わない方がいいな」という結論に
至った。洗濯機を回す必要があるほど衣類をためようとすると、
2週間以上も「汚れた服」がそのまま放っておかれてしまう。
様々な試行錯誤を重ねた末、俺は「部屋の中で、洗面器に水を満たして
それで服を洗う」という方式を使うことにした。今は冬だから
お湯を使って手洗いすることが多い。

まだ続きます。今度は俺の部屋の家具について。

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俺のアパートについて

ここで、俺が今住んでいるアパートの環境について少し解説して
おこう。

俺が入居しているのは、家賃3万5千円のアパート。
間取りは1R。つまり6畳一間の部屋と、80cm×80cmの
玄関というか、洗面台、ガスコンロのある正方形の空間がある。
そして押入れ。
部屋は和室で、畳の上にござのようなものが敷いてある。
かなり古い部屋らしく、畳は平らではなくボコボコとしている。
だからこのパソコン机は少し左側に傾いていて、俺の体もほんのわずか
左に傾いた状態でキーボードを打っている。
ほかの場所に机を移したいという気持ちもあるが、この場所がちょうど
いいので我慢してそのまま使っている。
床に布団を敷いて眠るときは、体が斜めになっているような感じが
する。入居した直後はだから朝起きるといつも肩こりのような状態で
あった。それを避けるため、いろいろな位置に布団を敷いて工夫して
みたけれど、どこでも大して変わらなかった。今は慣れたので、
それほど気にならない。

そして部屋の外の間取り。玄関から行こう。
大家さんの一軒家の玄関のドアには入らず、そのまま突っ切る。
そうすると俺たちアパート入居者用の共同玄関がある。
ドアを開けると、そこが玄関。4つの靴箱が縦に並んでいる。
一番上が俺。
その次が森さん。
上から3段目が佐賀さん。
一番下は誰もいない。

そこで靴を履き替え、階段を上に登る。
そうすると突き当たり右側に共同トイレがある。
佐賀さんの部屋には個室トイレがついているのか、彼はここのトイレを
使わない。ここを使うのは俺と森さんの2人だ。

その突き当りを左へ曲がると、そこに共同流しがある。
しかしそれは使われていない。「使用禁止」と書かれた札が蛇口の
ところに貼ってあり、同時に紐でぐるぐると固定され蛇口をひねる
のを禁止されている。その流しのそばに「開閉式の靴箱」のような
ものがある。ここに靴を入れてもいいのだが、俺は面倒なので
玄関のところに靴は常時入れている。ちなみに蛇足だが、例の
サンダルの件での嫌がらせを受けた直後、俺は仕方ないからサンダルを
ここの靴箱に入れて使うことにしていた。今は冬なのでただの靴を
玄関の方へ入れている。彼から嫌がらせは幸運にも受けていない。

ついでにそこには共同の傘立て。そして箒を置いておくための
フックもある。ちなみにこれは俺がつけた。俺の買ってきた箒の毛先
の部分が傷まないようにするためにね。

さらに右へ曲がると、そこに部屋がある。向かって右側が201号室。
俺の部屋。「なおき(正確には、俺の名字)」と書いた紙を貼って
おいてある。宅配便の人が、名前を呼ぶときに困らないように、
読み仮名もふってある。ちなみに俺の名字は少し難しい漢字を使う。

右側の奥が森さんの部屋。その向かいが佐賀さん。そして俺の部屋の
向かいが空き部屋だ。かつてここには四日市さん(仮名)という
方が住んでいたが、引っ越してしまった。彼女と二人でそこから
出てきたのを、入居直後は何度か見かけた。
(続く)

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まだ癒されぬ子供

昨日、本屋で「子育てハッピーエッセンス100%」という本を読んだ。
すごく感動して、涙が出てきた。

俺が感動したのは、この本のアドバイスが俺のためになったからじゃ
ない。俺がこんな風に子育てして欲しかったな、という気持ちが
内側から沸き起こってきたからだ。

思えば俺の子供時代、母親からほめられた記憶は一度もない。
なぜかは知らないけれど中学校の終わりくらいから、母は俺たち
3人の子供のことをポツリポツリとほめるようになった。けれど
小学校以前にほめられた回数は、ほぼゼロだと思っていい。

やってできるのが当たり前だ。だから(私は)ほめない
ある日そのような言葉を母から何気なく言われてショックを受けた
記憶もある。

俺には才能があった。「頭を使って考える」という才能が。
俗に言う「察しのいい子」というやつだ。
小学校6年で給食委員をやっていたとき。見よう見まねで係のおばさん
のやっている作業(お皿に残ったスープを、大きな容器に戻す、など)
をやってあげたら、すごく喜ばれた。
小学校5,6年で「縦割り班」という、1年生たちを俺たち上級生が
リーダーシップを発揮して一緒に遊ぶという行事があったのだけれど
そこでも俺は見事な知恵を出して、参謀役のような役割をこなした。
みんなから感心された記憶もある。

だが、その能力を母親からは潰され続けた。
「○○をやめなさい!」と母から止められたのなら俺は、いつも当然の
ように「どうして?」と聞き返した。俺のような「察しのいい子供」と
いうのは理由を知りたがるから。その説明された理由が俺にも納得いく
ものであったなら、潔く理解して引き下がる。俺はそういったタイプの
子供だった。

だが母の視点から見れば、俺は「いつも口答えする生意気な子供」と
映ったのだろう。いつもそこから大声で叱られ、無理やり母の言葉に
従うよう強制された。当然俺は反発したよ。
「この前と言ってることが違うじゃないか!」
「どうしてやっちゃいけないのさ!」と言い返した。
そうしたら今度は「そんなの屁理屈でしょ!」と言われて
問答無用で俺の理論を全否定された。

俺ってさ。「屁理屈」って言う言葉の意味、まったく分からなかったん
だよね。俺が筋の通った説明をして、母に俺の考えを納得させようと
言葉を並べて俺の考えを主張しても、いつも「そんなの屁理屈
でしょ!」と言われてそこで議論が終わる。
「そんなの屁理屈でしょ!」
「そんなの屁理屈でしょ!」
「そんなの屁理屈でしょ!」
いったい何回言われたことか。俺はこの言葉を言われるたびに、頭に
「?」の文字が浮かんで、何も言えなくなった。
「この人は、何意味不明なことを言ってるのだろう?」って
気持ちになった。

思えばこの「屁理屈」っていう言葉、非常に残酷だよね。
子供が、子供なりの頭で必死に考えた理論を「屁理屈だ」と言われれば
そこで議論が終わる。子供は自分の理論を全否定された気持ちになる。
「なぜ、自分の主張が間違っているのか」
「どうして母親の言葉に従わなくてはいけないのか」
それをきちんと説明して欲しかった。
そう今も思う。

「お前は黙って、ロボットのように私(母親)の言葉に従っていれば
いいのさ」そう言われているのと同じだよ。
俺は必死で反抗し続けたけど、それでもやはり俺の頭脳は削られ
続けた。

「ある部分においては頭がきちんと働くけど、別の部分については
驚くほどバカだ。何も考えず、『どうして?』と周囲から思われる
ような失敗ばかりする」
これが俺の高校時代までの姿だ。

そしてその症状は、いまも完治してはいない。
いまでも頭のどこかに、使われていない部分がある。これは実感として
分かるんだ。俺自身が未完成なような、全力を出せていないような
物足りなさのような感情は、24時間いつでも感じている。
そう、パソコンに向かっている今でさえね。

俺がこの苦悩から解き放たれる日は、来るのだろうか。
いまも試行錯誤は続いている。

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時は全てを味方する 俺の決意4

俺が「家賃滞納」や「年金未払い」のことについて書いたから
「そんな風に『やるべきこと』を先延ばしにしたって、何も
変わらないぞ!あとで困るだけだぞ!」みたいに言ってくる人が
いるかもしれない。

だが俺の場合は違う。
ただ時間稼ぎができればそれでいい。
それだけで俺は救われる可能性が高まる。

俺というのは、精神の成長スピードが速い人間なんだよね。
一度失敗したら、同じことは2度と繰り返さない。
もちろん10回に1回くらいはそうなってしまうこともあるけれど、
90%以上はいつもそうだ。

また、一度「A」ということをされて傷ついても、2度目の「A」
の出来事についてはほとんど傷つかない。今の俺はそんな特殊能力を
持っている。俺がこれまで試行錯誤して作り上げた恐怖克服法の
成果として、そんなことができる。

「自分の脳をプログラミングする」と表現すればいいのかな。
今NLP(神経言語プログラミング)という技法がはやっている
けれども、俺が行うそれはNLPの何倍も精密だ。
自分を瞬時に変更して、感情を自在に操る。もちろん「表面を偽る」
という意味ではなく、心の奥底から変換することができる。
今は「3日後日記」と併用しているから3日間の時間をかけて
いるけれども、基本的に「自分自身の心の内側を、自らの手で
組み変える」という作業を今も行い続けている。

だからね。俺には時間が欲しい。
このまま「自分自身の内側のトラウマの克服」を続ければ
おそらくアルバイトをすることでさえ、怖くなくなるはずなんだ。
今の道を進めば、確実に俺は幸せになれる。
そう分かっているから、もう少し時間を稼ぎたい。
「年金未納者」「家賃滞納」だの陰口を叩かれようと、ぎりぎりまで
今の生活にしがみつきたい。
この「時間に自由な、悠々自適のライフスタイル」をこのまま
可能な限り続けたい。今はそんな気持ちだ。

俺は決して「悪いことに目を反らし、先延ばしにしている」わけじゃ
ないよ。「先延ばしにすればするほど、俺にとってプラスになる」
から先延ばしをしたいという気分でいるんだ。
俺はこの世の「将来の不安に目を反らし、その場限りの快楽に身を
委ねる者たち」とは違う。
自分の頭で考えて、将来の俺にとってベストな道を自分で選んでいる
んだ。長い目で見た最善の判断をしているんだ。
たとえそれが、普通の人から見て不可解だ、無駄だと思われようとも。

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救われる道 俺の決意3

では、俺がこの「年金未払い」と「家賃滞納」という最悪の世界から
逃れるすべはあるのだろうか?
もちろん方法はある。というよりものすごく簡単だ。
俺がお金を手に入れればいい。

今、2月20日15時52分だ。今の俺の
財布には41302円のお金がある。
郵便局の口座には17173円。
みずほ銀行の口座は54605円だ。
合計で、113080円になる。

もし俺の仕事が好調で、お金が黒字である限りは俺はそんな
「最悪の世界」に入り込む必要はない。俺だってやっぱり嫌だからね。
俺はもしお金が「30万円以上」たまったのなら、今年も去年と
同じように国民年金を一括で支払おうと思う。
お金が「15万円以上」になったのなら、毎月払いできちんと
国民年金を払う余裕ができる。

ただし3月に、社会保険庁から「年金の支払いのお願い」という手紙が
来たときに。俺のお金が15万円以下だったなら、そこで
「年金未納」という爆弾のスイッチを入れる。さらに俺が家賃を
払っている、毎月の1日(3月1日や、4月1日)時点で俺の所持金が
5万円以下であったなら、俺は「家賃滞納」のスイッチを
入れることにする。

おそらくこの地獄の世界は。
俺にとって経験したことのない修羅場になるだろう。
なんせ、俺は犯罪者になるんだからね。
「今、俺には何もできない」この状態のなかで、急に収入が
黒字になることなんてまずありえないだろう。去年の3月あたりから
ずっと俺の収入は赤字だったから。
俺のHPのライバルサイトが出たり、検索エンジンの順位が下がったり
した総合的な結果としての、今の現状だ。
そう簡単に奇跡が起きて変わるわけもない。

俺の周囲の人間全てを巻き込んだ、地獄の世界が。
そう遠くないうちに、訪れるだろう。
99%まず確実だ。

1%の奇跡が起きることを今も願う。
だが、それを当てにして楽観的思考に走るつもりは毛頭ない。
常に俺は「最悪の結末」を見据え、それに対する心理的な準備を
しておくつもりだ。
俺はこれまでの人生、ずっとそれをしてきたからね。
普通の人が目を背けてしまうような悲惨な未来の可能性は、これまで
絶対的な孤独の時間のなかで、ずっと想像し想定しておいた。
正直この選択だって、そのときの想像の範囲内だ。

俺の父親から。
俺の心身がズタズタボロボロになっていた時期に。
「お前はこのままではホームレスになるぞ!」
「お前の仕事は、絶対に失敗する!」
「そのお前のホームページには未来はない!」
そうさんざん言い続けられたから、最悪の事態への覚悟はできている。

だから、俺の心は「地獄の世界を生きる覚悟を持つ」ということに
向けておく。
最悪の結末。それを受け止める覚悟を持ち続ける。

(コメント欄、復活させました)

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家賃を払わない 俺の決意2

もし俺はこのままお金が減り続けて。
毎月の家賃が払えないほど困窮したのなら。
家賃を滞納しようと思う。
これも長い長い時間悩んだ末の決断だ。

俺には「アルバイトをして、お金を稼ぐ」という選択肢もあるのだけれ
ど、できる限りその道は選びたくない。この前にその話はしたよね。
俺はこれまでずっと「アルバイトをするとしたら、どの職種がいいか」
についてずっと悩み続けていたけれど、今月に入って新たな選択肢が
頭に浮かんだ。それが
「家賃を払わずに、滞納する。大家さんと全面戦争する」という道だ。

俺にとってのアルバイトとは、地獄だ。
その地獄と、「アルバイトをせずに家賃を滞納する」という
もう一つの地獄。その2つを冷静に見比べて、俺はどちらの道を
選べばいいかしばらく悩んだ。3日後日記も活用して、自分の心の
奥底を洗い出してみた。そこで出てきたのが、こんな結論だ。
「もう、我慢するのはやめよう」

俺は精神力が強い。というより強すぎる。
おそらくアルバイトを始めても、それなりにこなしてしまうだろう。
だから、俺はこのまま「誰にも迷惑をかけない普通の暮らし」を
いつまでも続けていくことはできたはずだ。理論上はね。
だが、それでは俺はいつまで経っても救われない。
「私は何の苦痛も困難もなく、幸せに暮らしています」という
サインを、偽りのサインを周囲に出し続けても、俺の未来はない。
俺が本当の意味で幸せになるためには、「いま、俺は苦しいんだ!」と
いう自分の正直な気持ちを、行動を通して周りの人間に発信する
ことしかない。今になってやっと、そんな結論に行き着いた。

俺がこのことをブログに書こうと思ったのも、それが理由だ。
これまで俺が書いてきた
「俺の現状1」から「俺の現状7」の文章を読んで、あなたはどう
感じた?
「こんなに苦しい毎日を送っている人がいるんだ!」って驚いたよね。
それもそのはず。
俺はこれまで、それをずっと隠していたんだ。

俺は中学校時代、そして高校時代。
いま以上の苦痛の生活を送っていることはすでに書いた。
その苦しみの中で、周囲にその苦しさを表現することなく淡々と
前へ進み続けてきたことも。

そんな俺の姿を見て、誰一人俺がここまで苦しんでいることには
気付かなかった。
なぜなら、俺は演技力がすごいから。
自分の内側で耐え難い激痛と孤独を感じていても、俺はそれを内側に
押し殺して「何も感じていない、何も苦しくない」という振りが
できる。演技ができる。
家族を含めた周囲の全ての人間は、簡単に騙されたよ。
だから俺が中学1年生のときに、いきなり肺炎でぶっ倒れたときは
驚いたに違いない。

俺はお金に困ったなら、家賃を滞納する。
もし所持金額が5万円以下になった時に、その「全面戦争」の
スイッチを入れるつもりだ。大家さんが来て「今月の家賃を払って
いないんですけど・・・」と言われても「いまお金がないので
払えません」って言い返すつもりだ。今後ずっとね
水道代、ガス代、電気代を払えるだけのお金は残しておくつもりだ
から、それに困ることはないだろう。食費も同様。

まあ、それでもいずれお金は尽きる。
大家さんが警察を呼んで俺を逮捕させるかもしれない。
そうしたなら俺はこのインターネットもできなくなる。
このブログも。
HPも。
そして、サッカーの掲示板も。
全て消えてしまうだろう。

だが俺は、それでもこの道を進むんだと決めた。
最終手段は「アルバイト」ではなく「家賃滞納」という
法を犯す手段にすることにする。

これ以上、このまま「普通」の人生を歩み続けても未来はない。
そう分かった。
だから俺は、その世界へ入ることにする。
金銭的に追い詰められた場合はね。

(今回も、コメント欄は設けません)

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国民年金を払わない 俺の決意1

とりあえず前回までの記事で、俺の現状の説明は終わる。
ここからは俺の今後について語ってみようと思う。

俺の誕生日は3月10日。来月で21歳になる。
すると、ここで新しい不安材料が一つ追加される。それは
国民年金の存在だ。
俺はもう20歳以上だから、これを払わないといけない。
年金の保険料は1ヶ月で約1万3千円程度。一年分でたしか
約17万円だった気がする。

去年の俺はお金に余裕があったので、1年分の保険料を一括で
まとめて支払った。17万円くらいの金額を。
ただし今年の俺にはそこまでのお金はない。どうするべきかこれまで
ずっと悩んでいた。

だが、最近やっと決断した。
俺は、国民年金を払わないことにする。
今はやりの「国民年金未納者」の仲間入りを果たすことにする。

もちろん罪悪感はある。国民の義務を放棄するというのはやはり
悪いことだろう。だが俺にはお金がない。それを払ってしまえば
俺の毎日が圧迫される。

お金に余裕ができたなら払ってもいいとは思うが、今と同じ程度の
お金しか手元にないのならば、払わないという道を選ぶ。

俺はこの「国民年金を払わない」という決断と共に。
もう一つの重大な決断をした。それは・・・

(今回はコメント欄を設けません。このテーマでのブログ文章を
最後まで書き上げてから、コメント欄を復活させます。)

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アフィリエイト 俺の現状4

そこで再び、俺の中からこのような言葉が聞こえる。
「それならさ。アフィリエイトをやってみたらどう?ヤフーオーク
ションでもいいよ。せどり(古本の転売)っていうのもあるよ。
とにかく『インターネットでもできる仕事』を、始めてみてはどうか
な。きっとうまくいくと思うよ?なおきの能力ならきっと良いサイトが
作れるよ?文章もほら、あまり書く必要がないしさ・・・」
・・・それも無理です。同じ理由でね。

俺は一時期、出会い系サイトを徹底的に調べてみた時期がある。
H目的の軽いやつではなく、もっときちんとした出会いを目的とした
やつだ。実際に新しくフリーメールのアドレスを作り、メル友募集の
掲示板に何回か書き込みをしてみたこともあった。
だが、やる気が出なくなった。
「自分が楽しむため」ではなく
「今が苦しいから。寂しいから」という目的で、下心を持って
出会いを求めてそれ系のサイトをさまよっても、決して俺に良い仕事は
できない。あの方面のサイトで一番大切なのは「何回もめげずにトライ
すること」なんだよ。それ方面の本も何冊か読んだからちゃんと知識は
ある。

「下心を持ってキーボードで文字を打とうとしても、指が動かない」
これは、前に説明したとおりだね。同じことが
「文章を書く前後の地道な作業(HPを探したり、構成を練ったり)」
に対しても当然当てはまる。そのような「やる気が出なくなる俺」が
いくら出会い系サイトで地道な作業を続けようとしても、できないん
だ。ぐったりと疲れてそれ以上やる気がしなくなる。

同じことが「アフィリエイト関係」にも言えるよね。
俺は2006年には「アフィリエイト関係の本」を徹底的に読み
あさった。読んだ本の数は20冊を越えるだろう。どれもほぼ同じこと
が書かれていた。「アフィリエイトで暮らしていける収入を得るために
一番大切なのは、地道な作業の積み重ね」
自分のオリジナリティを出したサイトを作り、その内容をこまめに
グレードアップしていく作業を繰り返してこそ、満足のいく収入が
手に入るというのだ。これには俺もすごく納得できる。
だから、俺にはそれができない。
理由は・・・もう説明したよね。

俺は他人からアドバイスされる可能性のある、ありとあらゆる行為を
すでに試している。徹底的に自力でもがきまくって「もうどうしようも
ないや」という結論に至ったから、このように穏やかな気持ちで
今という「綱渡りの毎日」を過ごせている。
常人だったら気が狂いそうになるくらいのプレッシャーだよ。
でも、俺はそれ以上のプレッシャーをずっと受け続けた。
高校時代。そして中学時代にね。
苦しみに対して俺は免疫がある。ある種の悟りのような境地まで
達している。他人が泣き叫び地団駄を踏んでわめき立てるような場面で
顔色一つ変えることなく、平然としていられる。
「苦しい」と感じるが「辛くはない」と感じる。
だってそれが人生でしょう。
人生とは最初から苦しいもの。それをいくら喚いたところで現実は
変わらない。もう、そう悟ってしまっている。

ちなみに俺は中学校時代は「泣き叫び、地団駄を踏んで喚いていた」よ。
でも誰も俺を助けてくれなかった。
だからこそ俺は「自分を救えるのは自分だけだ」という諦めに似た
悟りの世界への扉を開いた。
「どんなに苦しくても、ただ淡々と努力しよう」
そう心の底から理解してから、俺は泣き叫ばなくなった。
それまでは家族に喧嘩を吹っかけたり、家で大暴れした経験も持って
いるけれども、高校時代のある時期からそれがピタリと止んだ。
その途方もないフラストレーションを全て「本を読みながら前向きに
努力する」という方向へ向けた。

普通の人間では、ありえないくらいの激痛と孤独。
そのエネルギーを全て「建設的な方向へ、前向きに努力する」方向へ
俺は向けた。
その結果、どうなったか。
ここに恐ろしいほどの主体性を持った人間が生まれた。
これまで出会った第三者の大人たちは皆
「あんたってすごいね」という驚嘆に似た称賛を向けてくれた。
非常に光栄なことだった。

正直に言わせてもらうと、俺はこの世の大人たちを信じない。
俺に対して偉そうな顔でアドバイスしてくる彼らは、俺が
「それは俺には無理なんです。なぜなら・・・」ときちんと理由を
説明したとたん、「ウグッ」と言葉に詰まって何一つしゃべらず
黙って立ち去っていった。

だから先ほどの、ロムさんのコメントはすごく嬉しかった
「あなたのことは僕は助けられません」って言ってくれた。
こんな言葉を言ってくれる人は初めてだった。
俺に対してコメントを、アドバイスをしてきた世の大人たちは
誰一人そんなことを言ってくれなかった。
「Aしてみたらどう?」
「Bしてみるといいんじゃない?」
・・・
そのような「自分の持っている持ち球」を全て投げ終わったとき、
彼らはただ「・・・」と無言になる。
あるいは意味不明の言葉を喚きたてて、議論自体を煙に巻こうとする。
そんな卑怯な大人たちにはたくさん出会ってきた。

この世に「謙虚さを持ち合わせた人間」というのは、そういない。
「ごめんなさい。今の私には無理です」という言葉を素直にきちんと
言える人はほとんどいない。俺の父親を筆頭に。
自らのメンツを保つために、ヘラヘラ笑いながら「そのうちなんとか
なるよ!」と明るく言われるだけ。
こちらが真剣に、人生の全てを懸けて悩んでいた事柄に対する彼らの
扱いがいつも、それだ。

俺以上の頭の良さを持った大人なんて、この世にいるのかな。
「俺以上の知識を有している人間」にはたくさん出会えるが
「俺と同じか、それ以上の『本質的思考能力』をもった人間」には
一人も出会えない。この世の著述家を取っても同じだ。

表世界には、俺の居場所はない。なぜなら俺の頭が良すぎるから。
これは自慢でもうぬぼれでもなく、これまでの俺の体験した世界から
導き出された自然な結論だ。

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指が動かない 俺の現状3

そこで再び、こう突っ込まれるのかな。
「だったらあなたの今の仕事を、一生懸命やるしかないでしょ?
アルバイトをしたくないんだったら、その思いをばねにして
一生懸命働こうよ!そうすれば収入も増えて不安から解放されるよ。
生活も楽になるよ!」

だが、これも無理なんだ。
なぜならば指が動かないから。

俺の仕事というのは「文章を書く」というのが主な役割だ。
HPの文章を書き、詳しい内容を求めてきた人に対して有料の
内容を送信する。そんなことをして生活費を稼いでいる。
だがある時期から、俺はスランプに陥った。
「もっとHPを増やして、収入を安定させよう」と考えて
新たなHPを作るための作業をしてみたのだけど、なぜか手が
止まってしまう。「書け!書くんだ!書かなくては前へ進めないぞ!」
といくら自分を叱咤しても決して良い文章は書けなかった。
この症状が現れ始めたのは2005年の最初あたりかな。
それ以降ずっとこの2つの感情の板ばさみに苦しんだ。
「文章を書かねばならない」
「でも書けない。やる気が起きない」
かなり無茶をして指を動かそうとした時期はあったが、それでも
どうしても満足のいくものは仕上がらなかった。

俺がその泥沼を抜け出すきっかけ(?)に出会えたのは
2006年の5月くらい。「サッカーステーション掲示板」という
サイトに出会えたこと。それまで俺は何も文章が書けずに悩んで
いたのに、ここで中高生の「どうすれば遠くへキックを飛ばせる
ようになりますか?」みたいな技術の質問に対してはスラスラと
指が動いて文章を書けた。そのとき俺は「これだ」と思った。

俺が文章を書けなかった理由は「お金を稼ぎたい」という下心が
あったから。「絶対に親から独立してやるんだ!」という強烈な
エネルギーを持っていた時期なら可能だったが、ある程度の
生活費を稼げるようになってからは、同じ方法ではもう文章は
書けなくなっていたんだ。
「お金を稼ぐためではなく、他人を助けるために」
そう考えたとき、俺は再び文字を書く能力を取り戻せた。

そしてもう一つ、それと連鎖反応的に手に入れた居場所がある。
それはこのブログ
「お金を稼ぐため」ではなく
「ただ自分が楽しむため」に、文章を書き始めるとこれもやはり
すらすらと文字が打てた。
途中悪意のある書き込みにより閉鎖まで追い込まれたこともあったが
2006年11月より、こうやって再開できている。

だからね。俺には無理なんだよ。
「お金を稼ぐためにHPを作る。文章を書く」という行為。
今の俺には不可能なことだ。
書こうとしても手が止まってしまう。

だから俺は今のところ、自分の収入がじりじりと減っていくのを
指をくわえて黙って見ているしかないんだ。

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アルバイトへの不安 俺の現状2

「でも、アルバイトすればお金は手に入るんでしょ?だったら心配
ないじゃない」って言われるかもしれないから、ここで答える。
俺にとってのアルバイトとは、地獄だ。

俺は今「時間に自由なライフスタイル」をしている。悠々自適と
言われればその通りの、起きたいときに起きて寝たいときに眠る。
そんな生活リズムを保ってきた。
そんな俺は一度「固定的なライフスタイル」に戻ってみたことがある。
そう、以前も書いた「社会人サッカーチーム」に参加したときのこと。
あのとき俺は、ものすごく辛い思いをした。

一週間に一度練習があるのだけれど、その前日には
「ああ、明日練習がある。どうしよう」と不安になってなかなか
寝付けない。「明日は午後2時から練習があるから、前日の
午後11時までに就寝しよう」って決めておいても、眠れない。
なぜなら、体に自由なライフスタイルが染み付いてしまっているから。
逆に「眠ろう」とすればするほど目が冴えてきて、いつも眠れな
かった。だからこそ練習にはいつも寝不足な、まぶたが重い状態で
通っていた。きっと当時のチームメイトには「いつも不健康そうな
人だなー」って思われたことだろう。

「では、最初から1週間ずっと固定的なライフスタイルでいれば
いいんじゃないの?そうすれば体が覚えこむんじゃない?」って
突っ込む?いや、それも無理だよ。
それをやろうとしたけれど、「誰もいないのにどうして無理して
同じ時間に起きなくちゃいけないんだ!」って体が強く反発して
決して眠ることはできなかった。
「眠くないのに、無理して寝よう」としても決して眠れることは
ない。「自然に眠くなるまで起きていよう」と思っていたら
なんと、夜の間ずっと目が覚めたまま!
眠くなるのは午前6時頃。
あのサッカーチームに所属していた3ヶ月間は、そのような生活習慣
になっていた。
「昼夜逆転の生活をやめよう」と思えば思うほど俺自身の体内リズムは
逆に「昼夜逆転の生活リズム」になっていった。
非常に皮肉なことだね。

俺が例えばコンビニの接客業を始めて、「○時から仕事だよ」と
言われたら。きっとこのときのように寝不足のまま仕事をする
ことになるだろう。ちなみに「深夜の仕事」であっても話は同じだよ。
「深夜に仕事がある・・・」という不安を抱えれば逆に
「朝起きて、夜に眠くなる」という普通のライフスタイルにきっと
なってしまうだろうな。
「仕事をしなくてはならない」というプレッシャーが、この俺の
生活リズムを天邪鬼(あまのじゃく)に狂わせる。

俺にとって。
「お金が足りなくなる」というのは「ゴング」に等しい。
「高校時代やそれ以上の、地獄の生活が始まるゴング」である。

だから、今も「アルバイトをするのは怖い」という思いは抱えている。

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お金の不安 俺の現状1

ここからは、「今の俺がどんな生活をしているのか」について
書いてみようと思う。暗い、重い内容になるでしょうがご了承ください。

今現在の俺の全財産は「約10万円程度」。
財布と銀行口座に入っている金額を合わせた合計金額だ。
去年の同時期は70万円程度の貯金があったから、約7分の1にまで
お金が減少した
ということである。

俺の仕事というのは「自営業」に当たる。
お客が商品を購入し、お金を振り込んでくれたらそこで収入が入る。
しかし来なければそのまま。
一ヶ月の収入量が非常に不安定な職業だ。

このままのペースでお金が減少すれば、俺は生活のために
アルバイトをしなくてはならない。
やはり不安でたまらない。

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次なる世代へ 岩月男性論4

岩月さんの著書「女は男のどこを見ているか」の最後のところに、
こんな文章が書いてあった。

もしあなたが英雄体験を終えた立派な男性であるならば。あなたに
お願いがあります。その経験を他の男性たちに伝えてくれませんか?
この社会がより良いものになるように。世の男性たちがより立派に
なるために。あなたのお力を貸していただけませんか?

(細かい言い回しは違っているでしょうが、このような意味の文章が
ありました)

俺はこの文章を読んで、正直感動した。
このような言葉を言えるのは、やはり本当に誇りを持った人生を
生きてきた人間だけだろう。

俺はこれからも様々な手段を使い、自分の体験を人へ伝えていく。
俺の言葉を他人へ届けていく。
俺の言葉を聞いて。
その成果で前へ進むことのできた人間が。
またさらに別の人間を、救い出してくれたらいい。
そのようなプラスのバトンを次なる世代へと渡してくれれば
それだけで、この世の中はどんどん良くなっていくはずだ。

それを信じて、俺はこれからも歩み続ける。

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励まし合い 岩月男性論3

岩月謙司さんが著書の中で主張する「最も理想的な男女関係」の条件の
一つとして彼は「励まし合いの関係」ということを挙げている。
お互いがお互いを応援し、励まし、勇気付けて、今後の人生を前向きに
生きていけるようなサポートをするという意味だ。

残念ながら昔の俺の家族はそうではなかった。
一言で言うならば「足の引きずり降ろし合い」。
具体例を挙げてみよう。

俺が高校生(中学生?)だったある日の深夜のこと。
俺の母が布団から起き上がってきた。
彼女はヒステリーのような状態になっていたらしく、居間で大声で
なにやら泣き言を叫び始めた。(具体的な言葉は覚えていません)
さらにすすり泣きをしながらテレビのスイッチを付け、ボリュームを
大きめにして何十分もテレビを見続けていた。
そしていつの間にか彼女は再び眠った。

そのとき、俺を含めた残り4人の家族は何をしていたか。
見て見ぬ振りをしていた。
これだけ大声で叫ばれて眠り続けられるはずもないのになぜか
寝たふりをして、彼女に何のアプローチもかけなかった。

正直俺はそのとき、彼女のところへ起き上がって話を聞いてあげた
かった。だが、できなかった。
この家族の雰囲気がそれを許さなかった。
「幸せの潰し合い、けなし合い」というこの家族の中で、誰か
他の人に対して優しく歩み寄ることなんて、できる空気ではなかった。
もちろんその雰囲気を打ち破って助け舟を出せるだけの精神力が
なかったことは俺の未熟さだが、そのような「相手を素直に
励ませない」という空気が、俺の生まれ育った家族に漂っていたことは
紛れもない事実。

もう一つ例を挙げよう。
俺の姉は大学1年になったとき、恋人ができた。
一度家に連れてきたこともあるし、自然に食卓の中で何度か話題に
なったこともある。
そんな彼女に、俺たち4人の家族はどんな風に接したか。
からかい、嘲笑を向けたんだ。
冗談交じりに彼女のその恋人との関係のことを、笑いながらいつも
茶化していた。
「恋人ができたんだ。良かったね」と素直に喜んであげたり
「どんなことがあったの?」と暖かく話を引き出してあげようとした
人間は誰もいなかった。俺も含めてね。

そんな家庭に育った俺だからこそ、その「励まし合いの家族」という
世界にはすごく憧れる。
お互いの幸せを応援し、共に幸福な人生を歩こうという意志を持った
人間たちの集団。
俺は、そんな人間関係を作りたい。

まだまだ俺は未熟だ。
俺には人を不愉快にさせるような重大な欠点もあるし、まだ他人に
心を開いて接することができない部分もある。
これから少しずつ今の道を地道に歩んでその欠点を取り除き、それを
補えるだけの大きな長所を持つ魅力的な人間に変われたらいいなと
いつも願っている。
俺は決して「立派な、すばらしい人間」じゃあないよ。
ただ「アンバランス」なだけ。
普通の人と違う環境で育ち、違う方向へ人格的に成長してきただけ。
人から見て「すごいな」と思われるような長所を持っているのは事実
だが、それと同時に「この人は何か嫌いだ。近寄りがたい」と思われて
しまうような短所も持っている。

まだまだ先は長い。

参考文献 男は女のどこを見るべきか

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智恵と勇気 岩月男性論2

英雄体験を積んだ男性が手に入れるもの。それは「智恵と勇気」だ。
普通の人が「そんなこと、無理だよ・・・」と諦めてしまうような
ところで見事なアイデアを出し、現状を突破する。
「そんなこと怖くてとてもできない」と他人が尻込みするような場面で
平然とそれに飛び込み、先へ進んでしまう。
そんな能力のことだ。

俺の具体例を挙げよう。まずは「智恵」。
高校2年生のときの、サッカー部の夏合宿でのこと。5泊6日の
長野での合宿だ。俺の割り当てられた部屋にはなぜか「洗濯物を
干す場所」がなかった。洗濯ロープを引っ掛けるフックが一つしか
なくて、ロープを張ることはできない。このままでは洗濯物を空中に
干すことができずに困ってしまう・・・
そんなとき俺は見事なアイデアを出してそれを解決した。
入り口のドアの上にあった、カーテンをつけるための金具。
そこに友人から借りた、針金でできた細いハンガーを差し込んだ。
そのハンガー自体に洗濯ロープをつなぎ、その1つだけのフックと
の間にロープを渡すことができた。
他のみんなが「すごくいいアイデアだね」とほめてくれるほどの
ひらめきが出せた。

俺は中学校2年のときから、日常的に本を読んでいた。しかも将来の
役に立つような人生訓や、自己啓発関係の本を。だから俺の頭の中には
他人にはないようなアイデアがいっぱい詰まっていた。
英雄体験とまでは行かずとも、「自分で自分に誇りを持てるような
人生」をこれまで送ってきたつもりだった。その成果としての一つの
出来事だったと俺は思っている。

そして「勇気」。
俺は今一人暮らしをしているのだけれど、2006年9月のこと。
隣の部屋に住んでいる人が、俺の部屋をノックしてきた。
用件は「共同トイレの張り紙を元に戻せ!」というもの。
俺はつい先日に、その張り紙が茶色く変色しているのに気が付いて
自分で同一の文章を書いて、新たな紙に交換していたんだ。
明らかにそれは「八つ当たり」であった。責任者である大家さんで
あるならまだしも、ただの隣人にそのような言葉を言われる筋合いは
ない。

だから俺は、彼に対して正面から向き合った
「まずは大家さんに相談してください」
「あなたが何と思おうとかまいません。ですが僕は自分の行動を
変えるつもりはありません」
などと頑として主張し、一歩も譲らなかった。
彼は俺を説得しようとあれこれ理由を並べて口論を吹っかけたが俺は
「その通りですね」
「そうかもしれませんね」と、柳に風で全て受け流し
全く取り合わなかった。俺の気持ちも少しも乱れなかった。

結局彼は、捨てゼリフを残して自分の部屋へ帰っていった。

俺がこんなことができたのは、俺に経験があったから。
実家で母親との口論を繰り返し、その負けた悔しさをばねにして
本を読み徹底的に自分の議論の力を高めたから。
これまでの地道な積み重ねによって、「俺は絶対に間違ってないんだ!」
という自信を持てた。
彼に立ち向かうための勇気を持つことができた。

虚栄心ではなく、本当に心から自らの人生に誇りを持てるだけの
人生を送っていたなら。何気ない行動や小さな一言の中にそれが
現れる。俺のように「本を読む」ということでなくてもいいんだ。
危険な場面で堂々と自分の身体を張って困難に立ち向かう。
それができるだけでいい。
もし負けてしまったとしても、その立派な態度は周囲の人から
必ず認めてもらえるはず。

ただひたすら前へ進む。
自分自身の幸せのために。
それを続けることができたなら、あなたは変わる。
一歩前へ進むごとに見える、新たな世界がある。

そうすればいつかたどり着けるだろう。
本当に実力を持つものだけがいられる境地に。
あなたにとっての「道」は何ですか?
あなたにとっての「戦い」は何ですか?

自分の目の前にある世界を、精一杯前へ進んで欲しい。

参考文献 女は男のどこを見ているか

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英雄体験 岩月男性論1

では今度は、岩月さんが男性向けに語ったアドバイスについて
紹介してみる。第一回の今日は「英雄体験」。

男性というのは冒険を求める生き物です。
危険なところ。未知なる世界。大きな強い敵。
それらに向かって必死になって抵抗し、戦おうとする傾向が
強いのが男性です。女性の場合は一般的に逆らおうとせずそのまま
現実を受け入れてしまう傾向があります。

その「冒険へ旅立った男性」のうち。
何人かはその冒険に勝利し、自信と誇りを手に入れて帰還します。
「俺は戦いに勝利した」という自信を持つきっかけとなった
出来事のことを「英雄体験」と岩月さんは呼んでいます。

男性が、女性と恋愛関係を作るうえで。
非常に重要な鍵を握るのが、この英雄体験です。
「目の前の未知なる世界。高い壁」に対し背を向けて逃げ回って
ばかりいたダメ男では、女性を心から愛することはできません。
本当に女性から心から尊敬され慕われるためには、英雄体験を
しておく必要がある。
岩月さんの本には、そのような記述がありました。

では、英雄体験とは具体的にどんなものでしょう?
それを一言で言うのならば「誇りの持てる出来事」。一例として
岩月さんはご自身の例として「車の車検」というものを挙げて
いました。自分であれこれと書類や手続きなどを準備して、その
全ての作業が終わったとき。彼は「あー、いい仕事したなあ」という
充実感を感じたそうです。これが「小さな英雄体験」です。
あなたにも経験ありませんか?
必死で部活動で練習した結果、大きな成果を手に入れた。
全力で強い相手と戦い、予想外の大きな力を出せて奇跡の勝利を得た。
そのような体験のことです。
このような体験の量が、その男性の人間としての器を定めます。

これは俺自身にも当てはまる。
俺がここまでしてきた体験を「英雄体験」と呼んでいいのか分からない。
だが、俺は2つのHPに書いたような「大きな発見、自分自身との戦い
への勝利」という経験を得てから、ずいぶんと人間的に成長できた。
他者に対して(良い意味で)一歩離れた場所から、落ち着いた
的確なアドバイスができるようになった。そして女性に対しても
臆することなく、堂々と向き合えるようになった気がする。

女性にモテたいのならば、自分の目の前にある「戦い」に勝利せよ。
その岩月さんの主張は、とても共感できる。
良い恋愛。すばらしい女性。幸せな結婚。
男性の立場からそれを手に入れるために大切なものの一つとして、
「英雄体験」は非常に重要である。

ただ女性の尻を追いかけているだけでは、女にモテることはない。
きちんと自分と向き合い、目前の壁を地道に這い上がってきた人間だけが
本当の意味で、女性から慕われる。
その知恵。洞察力。
戦いを経験したものだけが持てる「強者の優しさ」。
これらが人を救う。「愛情豊かな、本当の意味で魅力的な女性」から
慕われるための原動力となる。

だから、今「女性にもてない・・・」と悩んでいる人がいたら俺は
こうアドバイスしたい。「目の前の戦いに勝利せよ」。
自分に誇りがもてるだけの「大勝利」を得てこの現実に帰還できた
ならば、自然に女性から慕われるようになる。
大丈夫。あなたの今の道は正しい。
「女性」を追いかけるのではなく「自分の夢、目標」を追いかけて
前へ歩こう。そうすれば未来は開ける。

何か熱くなってしまいましたが、どうでしょうか。
昔の自分自身に向けたアドバイスのつもりで書いてみました。
まだまだ俺は発展途上であるとは思うけど、少なくとも高校時代よりは
俺は「一歩分前へ進めた」とは思っている。
そんな俺からのアドバイスが、誰かの役に立てば嬉しいと思う。

参考文献 女は男のどこを見ているか

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父性愛と母性愛 岩月女性論4

「父性愛と母性愛」。
岩月謙司さんの本にはこんな言葉がある。

父性愛とは「男性的な愛情」のこと。
主に男性が出すことのできる愛情のことで、相手を守り、励まし、
上の世界へ導こうとする類の愛情のこと。
逆に母性愛とは「女性的な愛情」という意味。
女性が主に出せる、相手を受容し、一体化し、相手の存在に対して
100%の肯定を出すことのできるような感じの愛情のことだ。
(あくまでこれは目安です。大まかに愛情には2種類があるとだけ
覚えておけばいいです。)

子供が健全に育つためには、この2つの愛情が両方とも必要だそうだ。
もちろんそれは「実の父親、母親」からだけしか受け取れないという
ものではない。その子供の幸せを心から願ってくれるような
男性(女性)がいれば、その子は父性愛(母性愛)を受け取れる。
また同年代の子供からも調達可能であるという。

ただしこの愛情のうち、異性の親からもらえるタイプの愛情は一般に
不足しがちである。女性なら父性愛。男性なら母性愛。
なぜかというと人は同性の子供と群れたがるから。その人間関係の
中で同性の子供たちと関わることで、たとえ親が未熟な人間であっても
同性の愛情(男性なら父性愛、女性なら母性愛)を受け取りやすい
環境ができる。

ただし異性のタイプの愛情は、あまりもらう機会がない。
チャンスは大きく分けて2回しかない。女性の場合は
「自分の父親」と「恋人」。もちろん中には「学校の先生の中に
立派な愛情深い男性がいた」という例外的事例はあるが、それでも
やはりもらう機会は限られえてくる。

では、「父性愛を出すことのできないダメ男」を父親に持った女性は
どうなるのか。この人は実は「恋人探し」ではなく「父親探し」を
始めるのだ。「年の大きく離れた、父親のような男性」にばかり
惹かれてしまうことになる。本人はもちろん恋人探しをしている
つもりだが、実際には「自分の父親になれそうな男性」を求めて
行動する。
「実の娘のようにヨシヨシとなでて欲しい」
「彼にシャンプーをしてもらうときも『かわいいね』という
感じで、優しく頭を洗って欲しい」
このような願望を抱く。

そしてここで「DSS(家庭内ストックホルムシンドローム)」が
同時に発生するとどうなると思う?
自分の大嫌いなダメ男ばかり好きになってしまう、というあれ。
するとここに悲劇が発生する。
「自分を愛してくれなかった父親(というダメ男)そっくりの男性を
探して好きになってしまう」
「しかし彼は当然ながら、父性愛を出せる人間ではない」
「だから彼といくら一緒にいても心が満たされない」
そのような悪循環の恋人選びをしてしまう・・・。

もちろん中には「父親が大嫌いだったから、父とは正反対のタイプの
人間を恋人にした」という人もいる。ただしその多くの場合は
表面だけが正反対の人間であることがほとんど。同じように
「父性愛を出せないような、ダメ男」である可能性が非常に高い
みたいだ。

ちなみに俺もこの「父親探し(俺の場合は母親探し)とDSS」という
悪循環に陥っていた。
俺がかつて恋愛感情を抱いてきた女性を分析すると、彼女たちは皆
ほとんど俺の母親と似ている。
「表面だけの薄っぺらい付き合いをしようとする」
「俺の気持ち、悲しみに心から共感してくれない」
「明るくて元気がいい」
「ときどきヒステリックになり、激しく怒る」
・・・
この4つのうち、3つくらいの共通点をいつも俺の片思いの相手は
持っていた。俺は臆病な性格であったため、彼女たちへ積極的に
アタックすることはなかった。だがここでもしそうしていたら、
俺は岩月さんの本にある女性のような、悪循環の恋人関係をずっと
やり続けただろう。

これを直すために大切なのが「3日後日記」と、そして
育て直し」だそうだ。

参考文献 なぜ、女は恋や仕事に臆病になってしまうのか


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