日々の進歩

コメントへの個別返信は休止中です。ご了承ください。

カトー ホーリーランド6

ある時。神代ユウは「カトー」という登場人物と1対1で勝負したこと
がある。

その時に神代が使用したのが、緑川ショウゴに教えてもらった「ハイ
キック」だ。

実はこの戦闘の直前。友達であった緑川が、カトーに倒されている。
そのリベンジとしての意味も含めた戦いであった。彼の思い残しを
晴らすべく、同じ技を使って彼を倒しにかかった。

俺も、同じようなことをしている。
俺がこのブログやサッカーの掲示板、そしてHPに書いている文章と
いうのは、半ば「レクイエム」のためだ。俺の中学、高校時代のチーム
メイトたちへの・・・

俺は幸運にも「考えて努力することが大切だ」ということに気が付くこ
とができて、そうしながらの努力を積み重ねることができた。「ガム
シャラにがんばっても無意味だ」ということを、中学校時代に、体で
実感してしまっていたから。

だけど高校時代の同級生たちは。そんなこと気付いてもいなかった。
以前一度「サッカーがうまくなるためには、本を読むといいよ」と
アドバイスしてみたことがあったが。それを聞き入れてくれる人は誰も
いなかった。

だからこそ「無意味な方向への、非効率な努力」を続けている彼らを。
俺は止めることができず、いつも見守るだけだった。
「あの努力では、サッカーはうまくならないよ」ということが分かって
いても、それを口に出せない。説明しても、彼らを説得できる可能性は
低い。そう思ったから、ただ黙って彼らの姿を眺めていた。

あの時期の彼らが。
「頭で考えての努力」を続けていたら、どれだけ素晴らしい選手になれ
るのだろう・・・いつもそう思っていた。俺と一緒にDチーム(一番下
)でプレーしていた同級生の中にも、光り輝く「才能の欠片」を見せて
くれる人は多かった。でも彼らは「自分の技を磨くことができずに」、
そのまま引退し、サッカー部を去っていった。

俺の「サッカーHP」に書かれている内容は。高校生当時の俺が、当た
り前に行えていたことを、分かりやすく、まだ行えていない人間に向け
て書いてみたものだ。「目標を持つ」「頭を使って考える」。
当時の俺にとってはそれしかなかったのだけれど、それでも心の支えと
して大きな効果を発揮していた。

どうすればサッカーがうまくなれるのだろう。そう悩む人間への、俺な
りのヒントを示してみたつもりだ。俺自身が「レギュラーになれなか
った」だけに、内容に不完全さが残っていることは承知している。それ
でも「ガムシャラに努力する」人間を「効率よく、頭を使いながら努力
する」ことができる人間へ導く、変えることはできるだろう。

ホーリーランド 第4巻

スポンサーサイト

PageTop

伊沢マイ ホーリーランド5

神代ユウと同じ高校に通う、伊沢マサキの妹「伊沢マイ」について。
彼女は神代ユウと自然に仲良くなり、数人の友達と共に一緒に遊びに
行ったりしている。

その中で神代ユウは、伊沢マイに対してこう、話したことがある。
「ごめん。これが僕だ」
夜の街で不良に取り囲まれ、やむを得ず彼らを暴力で撃退。その後
恐怖に震える彼女に対して、このような言葉を言った。

「いつも学校で見せている神代君と、あの夜の日のときの神代君の
ギャップが、どうしても埋められなくて・・・」
後に伊沢マイはこのように、神代に対して語った。

この神代の言葉。俺自身にとっても重い意味を持つ。
俺は高校時代、「おとなしい、真面目で、勉強熱心な人間」として周囲
の人間から見られていた。
だけど俺自身はそうではない。
勉強は大嫌いで、必要最低限の勉強が終わったら、後は別のことをして
いた。
「どうすれば効率よく宿題を終わらせて、サッカーその他のことに時間
を使えるだろうか・・・」と狡猾(こうかつ)に頭を働かせる、いわば
「ズルい」「卑怯」とも思える側面も持っていた。
「これが自分なんだ」「これが俺の意見なんだ」という意志を強く
持っていて、それを絶対に曲げない心を持っていた。素直に「はい、
分かりました」と口に出しているその裏側で、「表面上はあなたの指示
に従うけれども、心の底から服従するつもりはないよ」といつも思って
いた。「絶対服従」が当時の(中学、高校時代の)俺の周囲のルールで
あったため、仕方がなく従っていただけだ。
もしアメリカ等のように「年上の人間に、対等に、意見をぶつけ合える
」なんて雰囲気があの学校にあったのなら。俺はおそらく先生やコーチ
たちを言い負かせるだけの能力は備えていただろう。

その「裏」の自分自身を。
周囲の人間からずっと隠して生きてきた。
そう、家族にさえも。

どうすればこの「裏の自分」を、周囲の人に認めてもらえるだろう。
いつも心の片隅では、そう考えていた。
やはり「自分自身の中に、全力を出し切れないという不満な気持ちが
眠っている」という状態は、俺にとっても心地よいものではなかった。
だからこそ様々な試行錯誤を続けていた。

だから今の俺のこの目の前の世界は。
あの時期の俺の。
「どうすれば自分をもっと表現できるだろうか?」と試行錯誤して
行き着いた。
一つの到達地点に過ぎない。

この「ホーリーランド」の世界の中で、神代ユウは「2つの顔」を
持つ。一つ目は通常状態の、「穏やかな、優しい顔」。
もう一つは、戦闘中に見せる「バケモノ」としての顔。
目の前の敵を。ただ叩き潰す。それだけしか頭にない。
ケンカの最中の彼は、そんな顔をしている。

ホーリーランド 第11巻

PageTop

緑川ショウゴ ホーリーランド4

空手を使う登場人物「緑川ショウゴ」について解説する。彼は幼少時か
ら父親と共に空手の稽古を続けていたらしく、かなり高度で複雑な技を
使うことができる。それと比較すると神代ユウの場合は、技の数が少な
い。「ストレート」「ジャブ」「ローキック」など、数種類の技だけを
使用して戦っている。

神代ユウと緑川ショウゴが対戦した場面が、第3巻で描かれることに
なる。その中で緑川は「回転肘打ち」や「上段前回し蹴り(ハイキック
)」などを使用している。この時点での神代は「ジャブ」と「ストレー
ト」の2種類しか使えていなかった(連載が進んだ現在は、もっと多く
の技を使っています)。

その後展開が進むにつれて、彼らは友達になる。この2人と「シンちゃ
ん」の3人で、街を遊び歩いたりする。

彼らの姿を眺めていて俺が感じるのは「脆いな」ということ。心の奥底
に絶望と憎しみを抱いた人間たちの場合。その関係は安定した状態では
続かない。彼ら3人の友情は、何度も崩壊の危機にさらされる。

俺自身中学、高校時代に「友達」と呼べる人間は、何人かいた。でも
どこか満たされない思いを抱えていて、心の底から楽しいとはとても
思えなかった。今現在、あの時期からの友達の数は「ゼロ」だ。様々な
事情があり、少しずつ絆は離れていった。

どうすればもっと、幸せに人間関係を保てるのだろう。あの時期の俺
は、何度も考えた。でも当時の俺の頭脳では、「自分自身が、他者に
対して過剰に依存しすぎている。自分自身が、もっと精神的に自立して
おくべきだった」という真理には決してたどりつけなかった。本を読み
続ける中で「依存関係は、悪いことだ」ということは知っていたが。
それがまさに今俺自身が行っていることには、どうしても気が付けなか
った。いつもそれらの本で描かれるのは「虐待」「暴力」「心の病気」
などを発症させた、いわば「重症」の人間。そのような出来事が自分に
起きているとは思えなかったあの時期の俺は、「自分には全く関係の
ない、別の世界の出来事さ」としか思わなかった(当時の俺は、自分が
対人恐怖症に近い状態であるとは自覚していませんでした)。

あの当時の俺に対して、今の俺がアドバイスするとしたら、こんな感じ
になるだろう。

幸せは、他人の中にはないよ。自分自身が幸せであれば、その結果と
して「幸せになれる友人・恋人」が、あなたの元に引き寄せられてくる
んだよ。無理に他者へ話しかけて、友達関係を作ろうとする必要はない
。それよりも、自分が「どうすれば『友達ゼロ』の現状の中で、幸せに
なれるだろうか」について考えてみよう。一人の時間を、孤独な状態で
の学校での時間を、いかに楽しく過ごせるか。そのためにいろいろ工夫
を、試行錯誤を重ねてみよう。そして誰かが話しかけてくれたのなら。
または、自然に「誰かに話しかける。その必要がある状況が生まれた
」ならば。まっすぐに彼らと向き合い、彼らを幸せにしてあげるんだと
いう意識を持ってみよう。


今思うとね。
俺は「ガンガン話しかける」タイプの人間ではない。
「自分自身からは決して動かずに、他者から話しかけてもらうのを
待つ」だけでよかった。
これでも18歳以降は、様々な形で「自分から積極的に動く」行為を
試してみた。でも決して、良い人間関係は生まれなかった。
それよりも。
「自分からは決して動かない。他者がアプローチしてくれたときに、
彼らと向き合う。彼らを喜ばせる」というスタイルを取ったほうが。
俺にとっては過ごしやすい世界が生まれた。

ホーリーランド 第3巻

PageTop

金田シンイチ ホーリーランド3

主人公神代ユウの親友、金田シンイチについて書いてみる。愛称は
「シンちゃん」。

彼は全く格闘技を使えない。「伊沢マサキ」や「神代ユウ」、
「緑川ショウゴ(後述)」と比べると、圧倒的にケンカは弱い。
だからこそいつもはただ観戦しているだけなのだが、いつも神代の側に
寄り添い、サポートすることにしている。

彼自身は一度だけ、街の不良たちに襲われたことがある。バイクで
アルバイト先から帰る途中、先回りされて周囲を取り囲まれ、リンチに
される。そのまま病院送り。

そして神代ユウは、「キレる」・・・
詳しくは単行本を読んでください。

この出来事の後、神代ユウはこうつぶやく。
僕はもっと強くなりたい。僕の居場所を僕自身の手で守れるくらい

結局、これなんだよね。
彼が闘い続ける理由は、これしかない。
ただ自分が、幸せに毎日を過ごすため。
仲間、友人たちが、理不尽な被害に遭わないで欲しい。
ただそれだけのために、自らの技を鍛え続ける。拳を振るい続ける。

「暴力は、更なる暴力を呼ぶ」ということが分かっていても、
最初から、暴力によって切り開いた自分の居場所であるため、暴力を
もってしかそれをコントロールするしかできない。彼の拳が力を失えば
、その時点で神代ユウ自身が壊れる。一時期そんな場面も、この
ホーリーランド内で描かれている。

「自分が求められる場所に、自分を求めてくれる世界にいよう」
彼自身はそう願い続けて今も、マンガの中で生きている。

ホーリーランド 第2巻
神代ユウの「過去」が描かれています。

PageTop

神代ユウ ホーリーランド2

いよいよ主人公、神代ユウについての紹介に入る。彼は元「不登校児」
だ。学校でいじめを受けたことが理由で、家に引きこもるようになる。
そんなある日、本屋で偶然手に取った「ボクシング入門」という本を
教科書にして、ボクシングのトレーニングを始める。学校へ行っていな
いので、時間はいくらでもある。一日5千回、パンチを振り続けたと
いう(そんな設定の、登場人物)。

ある日。
夜の街を歩いていたら。
偶然、不良に絡まれた。
「お金を出せ」とね。

自己防衛のために、そのストレートパンチを使って不良を倒す。

そのような出来事が、数回続く。

いつしかその夜の街に、「ヤンキー狩りボクサー」という噂が立ち、
神代の存在が、認知され始めた・・・
それと同時に、神代ユウ本人を意識的に狙おうとする不良たちも
現れ始める・・・

ここまでが「ホーリーランド」の、大まかな舞台設定だ。

俺はこの神代ユウの物語を読んでいて。
「自分と同じだな」と感じた。
何がって?
「苦しみの質」。

「絶望」と「孤独」。
そこから「自力で這い上がる」。
その結果として「部分的に救われる。周囲の人間に認められる」。

だがその代償として「更なる大きな痛みと憎しみ」を受けるような
世界へ、引き込まれてしまう。

まさに俺自身。
だからこそ「何もかも壊してやりたい」という、あの神代の叫びも理解
できるし、「僕の居場所は、ここにしかない(だからこの場所で、この
世界で、戦い続けるしかない)」というあの主張にも、共感できてしま
う・・・

どうして。こんなに苦しいのだろう。
そう考える余裕すらない
ただ目の前の敵を、倒し続けるだけ。

努力した結果、救われない。
せっかく手にした安らぎの世界を、粉々に破壊される。
そんなこと、当たり前

ホーリーランド 第1巻

PageTop

伊沢マサキ ホーリーランド1

今回からはマンガについてのシリーズに入ります。最初は「ホーリーラ
ンド」について。ちなみに「ホーリーランド1」と書いたのは、決して
「第一巻」という意味ではなく、「ホーリーランドについて書いた文章
の一つ目」である、という意味です。

最初に取り上げるのは「伊沢マサキ」という登場人物。この物語の
主人公である「神代ユウ」と仲が良く、また年上であるため、彼の
困難な状況に対して、いつも的確なアドバイスを返している。

だが彼自身はどうなのか?
実は彼は、ほとんど他者からアドバイスは受けていない。事情があり
この「ストリートファイト(喧嘩)」の世界に足を踏み入れてからは
ほぼ独学で、喧嘩の技術を高め、「路上のカリスマ」と呼ばれる地位を
築き上げてきた。

俺はね。最初はやはり「神代ユウ」と自分が似ている、と思った。
だけど最近になって「伊沢マサキ」とも共通点が多いなと感じるように
なった。

俺は、これまでたった一人で歩いてきた。サッカーに関する悩みも、
日常生活で感じた様々な疑問も、全て自分の頭で考えて決断を出して
きた。読書を続けてきたけれども、それは俺の「メインの道」には
ほとんど役に立たなかった。少なくとも18歳まではね。だからこそ
「同じ道を歩もうとしている人間」に対してアドバイスができる立場に
あるのだけど。肝心の俺自身の人生はまだ何一つ変わらない。

俺は「高校卒業後に、このHP作成運営、という道に入った」ときに、
このように考えていた。
この道へ進んだとしても、俺は決して幸せになることはないだろう。
ではなぜ、この道へ進むのか?
ほかに進むべき道がないからだ。
ただ自分が救われることを求めての戦いは、まだまだ続く。
戦いの場所が、変わるだけ


正直なところ、この「ホーリーランド」の今後の展開については、
「神代ユウ」よりも「伊沢マサキ」に興味がある。彼が今後、どのよう
な方向へ進んでいくのだろうか・・・

ホーリーランド 第13巻
伊沢マサキの過去が書かれている巻です。

PageTop

感性の教育 七田理論6

ちなみにもう一つ。七田眞さんの右脳教育で育つものがある。それは
「豊かな感受性」だ。

考えてごらん。
「赤い花が花壇に咲いてたよ。そこにハチがぶーんと飛んできて、
花びらに止まったんだ」と、子供がしゃべるとき。
「花」「花壇」「ハチ」「花びら」という単語を知っていないと、
自分が体験した状況を、正確に描写することはできません。
「単語力、日本語の力の不足する子供」の場合。
「視界の端で、何か動くものが通り過ぎた」という程度の認識しか
できないでしょう。

豊かな言語能力は、感性の豊かさとなる。
美しいものを「美しい」と主張できる、心の豊かさと変わる。
自分の「感情」を、「感性」を、他者と分かち合える喜びを知るように
なる。

「小さい頃から知識ばっかり詰め込んでは、豊かな感性が育たない」と
主張する人は多い。
だが全くの逆だ。
ベースとなる知識が不足している人間は、感性の豊かさすら手に入ら
ない。


だからこそ七田眞さんの教えで
「短時間勉強するだけで、物を記憶できる子供」を育てよう。そして
様々な場所で、思いっきり遊ばせよう。
そしてその子供の話を聞いてあげよう。
その「素朴な感覚」から紡ぎ出される世界を、共に味わってあげよう。

そうすることで、生まれるんだよ。
「感性豊かな、情緒豊かな子供」がね。

必ずしも「七田式教育」を行う必要はないけれども
「豊かな感性」には「言語能力」が必須だということ。
つまり「頭のいい子供ほど、記憶力の高い子供ほど、豊かな感性を
持ちやすいんだ」ということ。
それだけは覚えておいて欲しい。

子どものための右脳学習法

これで七田眞さんの教えの紹介は終わりです。また「他者の理論紹介」
も終わりになります。ここまで読み続けてくれた人、ありがとうござい
ました。

次回からは「マンガ」についてのお話に入ります。最初は「ホーリー
ランド」について書こうと思っています。

PageTop

幼児教育 七田理論5

幼児教育の専門家である七田眞さん。彼は当然「右脳教育」的な行為を
、自らのスクールの子供たちへと教えている。ただし多くの親からその
「右脳教育」を、「英才教育ではないか」「詰め込み教育だ」などと
誤解を受けることが多いらしい。それに対して七田さんはきちんと説明
もしている。

七田眞さんが「イメージを描く能力」を、子供たちへと教えようとする
のは。「本質的な思考力を高めるためだ」と彼は主張しています。つま
り「難しい問題を、簡単に理解できるだけの頭の良さ」を身につける。
そのための教育手段なんだ、と言っています。

決して「右脳教育」それ自体は「詰め込み」ですらなく、強いて言うの
であれば

「長時間机に向かわせて、『教育ママ』的な行為をしなくても、勉強
に必要な知識を、ほんの少し机に向かって学習するだけで習得」
する。ことが可能になる。そのための教育なんだ。

俺は前にも言ったよ。
「記憶力が良くなれば、遊べる」ってね。
「学校の勉強を短時間で終わらせて、残りの時間を自由に好き放題
遊べる」。七田眞さんのトレーニングを繰り返すと、そのような成果が
出る。

七田さんの教育理論は「詰め込み」「英才教育」ですらなく、むしろ
「勉強を短時間で終わらせて、子供にたくさん遊ばせる」ために非常に
有効な教育手法である。
「記憶力そのものを磨く」
「算数の計算能力そのものをアップさせておく」
「基礎知識を、大量にインプットしておく」
などの行為を行い、「ラクラクと学校の学習についていける」人間を
作り出すことができる。

七田式子育て理論36年の法則

PageTop

ESP 七田理論4

七田眞さんは著書で「ESP(extra sensory perception)」について
も語っている。つまり「透視」のことだ。カードの裏側にある文字を
、見ないで当てる。箱に入っている品を、外側から見抜いてしまう。
そのような「超感覚知覚(通常ではありえないものを見たり、感じた
りできる能力)」のこと。

これを手に入れるために、右脳のトレーニングは非常に効果的らしい。
七田さんは「ESPトレーニング」の方法についても著書で書いている
けれど、通常の「イメージ」系のトレーニングだけを続けても、この
力は身につくらしい。

ではこの能力が、具体的に何に有効なのだろうか?
具体例として七田眞さんの著書に含まれていたエピソードを少し紹介
してみよう。

ドッジボールをやっているとき、「ここにボールを投げたらいいよ」
ということが「光の線」で分かる。(イメージで)見えてきたその
ラインに従ってボールを投げると、必ずボールを当てることができる。

5ケタ×5ケタの計算が、一瞬にして行える。答えが瞬時に頭に
ひらめく。

本をパラパラとはじくだけで、その内容を読み取れる。あるいは本を
胸に抱いて目を閉じるだけで、その物語のイメージが頭に自然に
浮かぶ。


下の2つについては真偽は不明だが、一つ目の「ドッジボール」のお話
だったら、俺も似たような経験がある。

俺はドリブルを仕掛けるとき。「いつ相手が足を出してくるか」が
「予知」できた。だから「相手が足を出して、ボールを奪いに来る」
そのタイミングと同時に「ボールを大きめに前へ出して、突破する」
という行為が可能だった。いつもこれを行ったら、DFの選手に
目を丸くして驚かれた。
「相手がいつ、仕掛けてくるのか」
「どのタイミングでボールを動かせばいいか」
それが分かるのだ。「目で見て、相手の動きを判断する」というよりも
「相手の脳とシンクロして、相手の足の動きと同時に自分も動き出す」
というイメージかな。

ただしこれが行えるのは、俺が絶好調の時期だけ。99%以上の通常の
練習では、相変わらずボールを取られてばかりいた。

だからこそ通常ではありえないパスが、ドリブルが行えた。絶好調の
時期の俺は「まるで魔法のような」素晴らしいプレーを連発していた。

だけどその力は不安定だったので、「武器」として使い続けることは
できず、いつも苦労していた。あの時期にこの「技のメカニズム」が
もっと熟知できていれば・・・もっと効率のいい練習メニューが作れた
だろうと思うと・・・やはり残念なことである。

参考文献「超右脳人間塾

PageTop

イメージ 七田理論3

七田眞さんが教える、最もすばらしい理論。それはこの「イメージ」に
ついてなのではないかと俺は思う。

多くの人は「イメージ、想像力」。そういったものを、ほとんど考えず
に生きています。そのため「想像力豊かな人」と「そうでない、普通の
人」の間には、大きな能力の差があります。

俺はサッカーを続けていたから、「イメージの能力」というものの
大切さについては良く分かる。
「裏のスペースへ走りこむ味方がいる」。
そのような状況のときに、イメージの能力が高ければ、ものすごく
丁寧なスルーパスを通せます。俺自身が七田眞さんのトレーニングを
行い、その絶好調だった時期を思い出すと、そう感じます。

しかし多くの選手は。「イメージ」という能力には見向きもしません。
そのため「創造力豊かな、ひらめきのパス」が出せなくなってしまうの
です。

だからこそその能力を、トレーニングで高めるべきだ。七田さんの本に

「オレンジカード」「マンダラカード」「1000コマ記憶」
などを始めとする、イメージ強化のためのトレーニング方法が数多く
紹介されています。

それを行えば、イメージの能力が高まります。勉強にも役立つでし
ょう。頭がスーッと冴えて、問題の解答がスムーズに頭に浮かぶ。俺は
七田さんのトレーニングの成果として、そのような状況が現れました。

そしてその「イメージを描く能力」というのは、もう一つ別の世界への
扉も開きます・・・(続く)

参考「超右脳活用ノート

PageTop

音読 七田理論2

そして「ひらめき脳(以下、右脳と称します)」を高めるための方法の
一つとして、七田眞さんは「音読」という、非常にシンプルな方法を
提案しています。

「文章を声に出して読む」。それを繰り返すだけで、右脳が開けると
いうのです。

ちなみにこれは俺自身も、実体験から納得できる。年を重ねてからは
ある程度衰えてしまったのだが、俺は小学校時代は「右脳記憶(ものす
ごく高い記憶能力)」を持っていた。学校の宿題で「国語の教科書を
毎日音読しなさい」という課題を出された。そうすると10回目くらい
には「5~10ページ分の物語の文章を、一字一句完全に間違えずに
暗記して、教科書を見ずに口に出せる」という力を持っていた。

その要因として、やはり「同じ文章を、ただひたすら(何も考えずに)
繰り返し読んだ」という行為の影響は大きいだろう。「記憶しよう」
「覚えよう」と考えることは全くなく、ただ「文章を口に出して読む」
ことだけを無我夢中で繰り返した。そうすると・・・いつの間にか
その内容を、覚えてしまっているのだ。

七田眞さんの「トレーニング本」には、よく暗唱用として、「英語の
短文」「文学作品の一部分」が掲載されている。それをただひたすら、
何も考えずに繰り返し読む。

そうすると、記憶力が強化されるらしい。
これだけが「右脳を開く」唯一の方法ではない。
だが、方法の一つとして非常に有効だろう。

参考文献「七田式超右脳イメージトレーニング

PageTop

右脳と左脳 七田理論1

「天才を作り出す」。
これが七田眞さんの理論の基本である。
「ものすごく高い記憶力を持った、人間」。
超一流のスポーツ選手、将棋のプロ棋士などにはたくさんいます。
それと同じようなことを、誰もが行えることを目指す。
それが七田さんの教えです。

具体的なトレーニングはたくさんありますが、今回は大まかな理論に
ついて。
「左脳と右脳」についての基礎理論をお話します。

人間には「言語、計算、記憶」的な能力を司る場所と
「感性、ひらめき、創造力」をコントロールする部分。
脳の中には、この2つの場所があるそうです。

一般的な学校教育では、この「言語」系だけを鍛えることに主眼が
置かれすぎている。後者の「ひらめき脳」を高めることが放っておかれ
ている。そう七田眞さんは主張します。

だからこそ「ひらめき脳」を鍛えれば。人間としての本当の能力が
開花する。普通の人間には、及びも付かない能力が花開く。
複雑な計算式を一瞬で解いたり。
膨大な量の文献を一瞬で暗記し、いつでも暗唱できたり。

だから「ひらめき脳」関係を、トレーニングで高めましょう。
それが七田眞さんの主張です。

参考文献「奇跡の右脳革命

PageTop

基本 甲野理論5

甲野善紀さんは「基本が大事だ」の言葉が、あまり好きではないらし
い。

例えば剣道の初心者が「毎日竹刀の素振り100本!」などと目標を
定めて、それを無我夢中で何も考えず繰り返す。そのようなタイプの
トレーニングを彼は嫌う。

「腕の使い方は・・・」
「軸足に体重をどの程度かけるのか・・・」
みたいな事に対して、常に頭を働かせて稽古を繰り返すべきだ。
彼はそう主張します。

「反復練習こそが、最も大切なのだ!」
「とにかく数を繰り返せば、それで強くなれるのだ!」
みたいな感じの、のいわば「根性論」のようなものを。甲野善紀さんは
否定します。

「術理(自分なりの、武術の技に対するコツのようなもの)」を発見
すること。彼はそれを大事にしています。

以上で甲野善紀さんの紹介は終わりになります。
参考文献「古の武術に学ぶ
彼自身の「具体的な術」ではなく「大まかな精神的な心構え」を中心に
文章を書いてみました。次回からは七田眞さんの紹介に入る予定です。
あなたの人生の、何かしらのヒントになればいいと願っています。

PageTop

小魚のたとえ 甲野理論4

甲野善紀さんが好んで使うたとえ話を、もう一つ。

海の中で、魚が泳いでいます。
大きな魚もいれば、小さな魚の群れもいます。
大きな魚が方向転換するときは、体を大きくくねらせて、力強く方向を
変えますよね。
しかし「大きな魚と同じくらいの大きさの、小魚の群れ」だったら、
どうなるでしょうか?おそらく大きな魚よりも素早く、瞬時に「サッ」
と方向を変えられるでしょう。体が小さい分、水の抵抗が少ないので
す。

甲野善紀さんは自分の技の「素早さ」を説明する方法として、この
「小魚のたとえ」をよく使います。
全身に繊細な意識を向け、体中の筋肉全てに注意を向ける。そして
その「筋肉全てが」独立した存在であるかのように、「筋肉全てが
小魚の群れのように一斉に」方向転換するような感じで、自らの体を
操り方向転換する・・・
(あくまで僕個人による解釈の試みです。間違っている可能性もあり
ます)

だからこそ甲野さんは、俊敏な体使いができる。
そう主張していました。

参考文献「縁の森

PageTop

介護 甲野理論3

甲野善紀さんの講習会に参加した受講生の一人。岡田慎一郎さんにまつ
わるエピソードを紹介しよう。

この岡田慎一郎さんというのは「介護」関係の仕事をしている。老人
ホームで寝たきりの人間の世話をする。そのような職業に就いている
人です。

この「介護」という仕事。予想外に重労働だそうです。
考えてみてください。
「仰向けに寝ている人間を、無理やり起こす」。
この作業を行うためには、介護者の背中とベッドの間に手を差し入れて
、「よいしょ」と持ち上げなくてはなりません。これを毎日複数回、
食事や着替えの度に行うとなると・・・非常に疲れると言わざるを得
ません。

そのため介護関係者の中には「体を壊す」人が続出するそうです。
「腰を痛めた」
「背中を痛めた」など、介護する側の人間が体調を悪化させてしまう
ことが多いのだそうです。

そこで登場したのが、甲野善紀さん。彼は元々
「古武術の技を、野球向けに改良した」とか
「ラグビーのタックルを潰すための技を開発した」などの実績を持って
います。彼が岡田慎一郎さんの話を聞いて、「介護に必要な動作」に
対する「古武術流、体の使い方のヒント」を作ってみました。

そうしたら何と。介護動作がものすごく楽になりました!
最初はその「常識外れの動作」に眉をひそめていた(岡田さんの)同僚
たちも、「まあいいか。仕方ない」と認めるようになったそうです。

今現在岡田慎一郎さんは、その技術を他者へ広める活動も行っていま
す。

古武術介護入門」岡田慎一郎著
関係者の方は、ぜひ読んでみてください。

PageTop

コロとキャスター 甲野理論2

甲野善紀さんが繰り返し語る「たとえ話」に、コロとキャスターについ
てのお話がある。

まずは「コロ」について。昔の人が、大きな岩などを多人数で運ぶとき
、岩の下に丸太を置きました。そしてその上を紐で引っ張るなどして
岩を動かし続けました。そうすれば地面に置いた状態よりも摩擦が
少なくなりますので、簡単に動かせますよね。これが「コロ」です。

しかしこのコロには、欠点もあります。それは「方向転換が難しい」
ということ。また「通り過ぎた後の丸太を再び前へ持ってきて、そこに
置く」という作業が繰り返し必要になりますので、手間がかかります。

そこで登場したのが新たなる発明品「キャスター」です。板の四隅に
それぞれ4つの車輪を装着し、その上に岩を乗せて動かす。そうすると
簡単に岩を運べます。方向転換も簡単です。

甲野善紀さんはご自分の技の性質を分かりやすくするため、この話を
よく行います。普通の人の動きが「コロ」で、甲野さんの技が「キャス
ター」なんだと。全く新しいアイデアをベースにして動く甲野さんだ
からこそ、普通の人の一般常識では及びもつかない動きが可能になる、
というのです。

普通の人が「パワーをつけたい」と思ったら。ウエイトトレーニングな
どを続けることで、「とにかく筋力をアップさせるんだ!」と考えがち
です。

ですが甲野善紀さんは、それの更に上を行きます。「どのような体使い
をすれば、最もパワーを発揮できるだろうか」とアイデアをひねるのだ
そうです。だからこそ甲野さんの技は独自性が高く、なかなか読まれに
くい。そして予想外のタイミングで、予想外のパワーが相手に襲ってく
る。

普通の人が「このような構えでは、30の力が来るだろうな」と予想す
るような姿勢から。甲野善紀さんは100の力を発揮することができ
ます。だからこそ相手はバランスを崩したり、剣での一撃を無防備な
状態で受けてしまったりするのです。

技アリの身体になる
甲野さんのお弟子さんに当たるような人が書いた本です。

PageTop

謙虚さ 甲野理論1

今回以降は武術家、甲野善紀さんの理論紹介に入ります。最初に紹介す
るのは何といっても「謙虚さ」でしょう。

私(甲野さん)は「武術の達人」と呼ばれるのが好きではない。なぜな
ら私が目標とする「古代の武術の達人たち」と比べれば、私の今現在の
技など足元にも及ばないから。


彼の著作には、このような「私はまだまだ未熟です」「これからも彼ら
に近づけるよう努力を続けます」という記述が繰り返し見られる。
俺はこの彼の価値観に非常に大きな影響を受けた。

俺が、このブログで文章を書くとき。
「残念ながら○○という悪い癖は、自分自身にも当てはまる」
「未熟である自分自身が、少しでも立派な存在に近づくために努力を
重ねていけばいい」
「Aという行為ができないのは俺の落ち度だ。悪い癖である」
という記述をたくさん使っているのが分かるはずだ。これらは全て、
甲野善紀さんの影響である。

素直に自分の能力不足を自覚して、その不足分を少しでも補えるように
自らを高めていく。磨いていく。
そのような「上を目指す姿勢」を、彼の言動から学べた。
彼が行っているのは「創作武術」というのかな。古武術の文献を調べて
、それを参考に自分の技を研究し高めていく。そのような作業を行い
続けている。
「古武術をベースにした身体操法の技術者」だったかな。彼自身が自分
のことを、そう名乗っていた。

彼の教える技術は「介護」「音楽」そして「スポーツ関係者」。様々な
人へと広がっている。その一因として甲野さん自身のあの、謙虚な
お人柄の影響は大きいだろう。自分の技を誰かに見せるとしても
「これはあくまで『今現在の私の、研究中で未完成な技』です」という
姿勢を決して崩さない。「研究と試行錯誤」という、彼自身の歩む道
の影響も大きいだろうが・・・

あの謙虚な姿勢は、ずっと見習い続けていきたいと思っている。

不安定だから強い
「甲野善紀さんとは、どんな人か」。それについて最も分かりやすく
語った一冊です。

PageTop

恋愛 小林理論7

ある十数人程度の、登山グループがありました。男性も女性もいます。
ある日山を歩いていたら、ふととある高山植物に目が留まりました。
「ねえ、これって何という花?」と誰かが聞いても、ほとんどの人が
答えられません。

そこで「それは○○ですよ」と答えを教えてくれたのが、普段は目立た
ない、とある女性。これにはみんな驚きました。しかも下山した後
詳しく調べてみると。やはり彼女の言った言葉は当たっていたのです。

その出来事がきっかけとなって、ある一人のグループの男性が彼女に
興味を持ち始めました。そして半年後、めでたく結婚することになりま
した・・・


だから「誰にも負けない得意な分野」を持ちなさい。
「これだったら、誰よりも詳しい」と思えるくらいの知識を持っておき
なさい。そうすればあなたは他の人から好かれるようになりますよ。
「花の名前」でもいいですし「料理」でもいいんです。どれか一つで
いいから「自分の得意な分野」を徹底的に極めてご覧なさい。
そうすれば自然に異性からも好かれるようになりますよ。

そう小林正観さんは主張します。
これも的確な助言だと思う。

「大好きなあの人に好かれよう」と思い、彼(彼女)好みの趣味や知識
を追い求める。それよりも「自分はこれが好きなんだ。これが得意なん
だ」と思える個性を磨き続けよう。そうすれば自然に異性を「引き寄せ
る」ことができる。

俺自身は「サッカー」と「読書」という2本の柱を持って、高校時代は
生きていた。しかし当然、それらの長所は人に知られることはなかった
。だけどふとした何気ない場面で。それらの能力を使ったり、それを
生かした言葉を言ったりしたら、すごくみんなに感心された記憶があ
る。

楽しく上手にお金と付き合う

小林正観さんの紹介はこれにて終わりです。次回からは甲野善紀さんの
紹介に入ります。ありがとうございました。

PageTop

子育て 小林理論6

「昆虫記」を書いたファーブルの育ての親は、おばあちゃんでした。
ファーブルのおばあちゃんは、とてもおおらかな人でした。
ファーブルが幼稚園へ行く時間になり、家を出発しました。しかし数
時間後幼稚園の先生が来て「彼がまだ来ていない」とのこと。そこで
2人で探しに行ってみたところ、道端に彼が座り込んでいます。
「何してるの?」とおばあちゃんが質問してみたら
「アリさんを見てる」と彼は答えました。そして
「そろそろ幼稚園へ行く時間なの?」と聞き返しました。実はもう、
数時間経っているのですが・・・

このように幼少時代のファーブルは、好奇心旺盛な人でした。そして
そんな彼の性質をおばあちゃんも、先生も咎めることなく、暖かい目で
見守り続けたのです。そんな彼が大人になって「昆虫記」というすばら
しい著書を残したのです・・・。


俺は実際にファーブルの伝記を読んだわけではない。だからこの話が
事実であるかどうかは判断できない。だけど、「作り話、寓話」として
は非常によくできた話だと感じる。

子供の個性は千差万別である。学校が大好きな子供がいれば、外で運動
するのが得意な人もいる。女の子の遊びに混ざって遊ぶ男の子もいる
だろうし、逆もしかり。
そんなとき多くの親は「うちの子は『異常』なんじゃないか」と恐れて
「ほら、あんたは女の子とばっかり遊んでないで、男の子ときちんと
遊びましょうね」などと、子供を「普通」の型にはめようとする。だか
ら子供の個性が消えてしまうのだ。その子本来の性質、能力が消えて
しまう・・・

俺自身このような「圧力」は数限りなく受け続けた人間だから。あの
瞬間の心の痛みはよく分かる。「俺はAが好きなんだ。Aをやるのが
俺の個性なんだ」と思っていても。周囲の人は、それを認めない。ただ
「お前は特殊な人間だね」という、冷ややかな視線を向けるだけ。

「珍獣」
「ピエロ」
「トラブルメーカー」
「驚きの連続」
「次に何をしでかすか分からない」
・・・
このような視線を、時代によって種類は変われど、常に周囲の人から
向けられ続けてきた。

あの当時の俺が。
「そのままの個性で、いていいんだよ」という言葉を。
誰か一人の人間からでも向けられることがあったのなら。
どれだけ幸せだっただろう・・・

小林正観さんの著書「釈迦の教えは「感謝」だった

PageTop

頼まれ事を引き受ける 小林理論5

誰かから頼まれ事をされたのなら、引き受けてみなさい。もちろん
「これは私の実力では不可能だ」とか「これは、単なる数合わせのため
に俺のことを呼んだのだな」など、明らかに違う、嫌だと感じるものな
らば断っていいです。借金の頼みごととかね。

頼まれ事をなるべく引き受ける人生を続けていくと、人生の流れが
見えてきます。誰か、何者かに導かれていくような感じで、自らの進む
方向性が決まってくるでしょう。

そしてもう一つ。頼まれ事を引き受け続けていると、そのうちいくつか
の事柄で、お金をもらえるようになります。そんなときは謙遜せず、
預からせてもらいましょう。「もらう」のではなく「預からせていただ
く」という考え方です。受け取ったお金を、また別の誰かのために、
使うことになるのですから。


この小林正観さんの「頼まれ事」の教え。俺にとって、かなり大きな
影響を与えたものの一つである。本当は俺の場合、このブログで
「○○理論」のシリーズ連載。こんなに長く続けるつもりは無かったん
だ。

最初は逮捕された岩月謙司さんのため。彼に対する応援歌のような気持
ちで、彼の教えを書き続けた。そうしたら、多くの人から喜びのコメン
トをいただいた。そして「影響を受けた著述家の人物紹介」の記事を
書き終えたら。書くことが無くなったので、最後の人物であった「高岡
英夫さん」の教えを、ブログにアップしてみたら。サッカー掲示板の
方々を始めとする多くの人から、「役に立った」という言葉を受けた。
だからこうやって、次々と紹介を続けていったんだ・・・。

本来このブログというのは。神田昌典さんの「成功者の告白」の著書
がモデルである。この本に書かれていた「グッド&ニュー」という手法
。これを試してみたかったのだが、俺の周囲には人はいなかった。
だから考えた末「ブログに日記をアップロードする」という手法を取る
ことにした。だからこのブログの最初のところは
「Aを食べた。おいしかった」
「Bを見ていたら、ありがたいという気持ちになった」
という、極めてありきたりの文章に終始していた。

「誰かに読んでもらおう」「誰かを楽しませよう」なんて考えたことは
一度もなく、ただ「失った自信を取り戻すため」。無気力状態、進む
道を失った現状を打開するための試行錯誤の一つとして、俺はこれの
文章を書き続けた・・・。

小林さんの本「楽しい人生を生きる宇宙法則

PageTop

お金 小林理論4

どうやら「貧乏神」と「福の神」というのは、同じ神様らしいのです。
ただ、その違いは「お金の使い方」にあるそうなのです。貧乏神という
言葉を聞いて多くの人が思い浮かべるのは「みすぼらしい服を着た」
神様、というものでしょう。ですがそうではないみたいです。実は
貧乏神というのは、すごく派手な服装をしています。自分が手に入れた
お金を、全て自分のためだけに使う。それが貧乏神の特徴らしいので
す。だから身なりが派手。

その反対に、福の神というのは質素な服装をしています。なぜなら彼は
「人に喜ばれるためにお金を使う」からです。他人の幸せのためにお金
を使うからこそ、ますますお金が自分の元に入ってきます。


参考文献「この世の悩みがゼロになる

おそらくこれも「作り話」だろう。だけど、本質を突いていると思う。
自分のためだけにお金を使う人間よりは、誰かを喜ばせるためにそれを
使った方がいい。その方が、多くの人から感謝されて、ますますその人
にお金が入りやすくなるだろう。

だがこれも、俺自身には当てはまらない。なぜなら俺は、今現在
「生活必需品」にしかお金を使わない。また友達と呼べる人間は誰一人
存在しない。家賃の振込みにすら困る可能性を持つ、生活レベルを
保っている。もはや「他人のためにお金を使う」レベルですらなく、
ただ「生きるか死ぬか」の次元に生きている。

神田昌典さんは、こう言っていた。
「日常生活に切実な問題を抱える人間にとっては、ありきたりの精神論
は逆効果だ」と。
「人を大切に」の教えを、過剰に強制された人間は「理不尽な契約を、
取引先から結ばれても、無理に我慢してニコニコしている」。
「謙虚であれ」という言葉を、鵜呑みにしすぎた人間は、商品を適切な
価格まで値上げすることができず、ずっと経済的に困り続ける。

俺はこちらの教えを、信じることにしよう・・・。
「今の俺は、他人のためにお金を使えない。お金を使う余裕すら存在
しない。残り数万円の貯金を、ゼロにしろと言うのか?」


PageTop

感謝 小林理論3

ある研究者が、「ありがとう」と「ばかやろう」。この2つの紙を貼っ
た水を凍らせました。そしてその氷の結晶を観察してみました。そうす
ると「ありがとう」の水は、きれいな結晶ができたのに対し、「ばかや
ろう」の方は、不完全な形の結晶ができてしまいました・・・


参考文献「宇宙を貫く幸せの法則

だから「ありがとう」の言葉をたくさん言いましょう。そうすると健康
にいいですよ。小林正観さんは、このように主張します。この実験も
江本勝さんの行ったものですが、上記の著書でそれを取り上げていま
した。

でもこの理論、完全には正しくありません。
「水の組成が変わる。血液中の水分が良い状態へと変わる」という理屈
を提唱する根拠としてこれ(この実験)を示していらっしゃるようです
が、根拠が不十分です。百歩譲って「水分が変化し、健康に良い影響を
与える」のが事実であると仮定しても、「では、それ以外の体内成分は
?」という疑問が自然に生じます。血小板や赤血球、白血球に何かしら
の影響を与えない限り、本当の意味で「健康に効果がある」と断言する
ことは不可能でしょう。

誰かがこの「江本勝さんの実験」のことを「疑似科学」と呼んでいたが
、その通りだと思う。「ありがとうという言葉を言うことが大切だ」
というのは人間関係の基本事項として、絶対に確実だ。周囲の人間と
良い人間関係を作るために、非常に効果的である。だけどその根拠とし
て「科学的(?)実験」を持ち出すのは、個人的には好きではない。

「ありがとうの言葉を2万五千回言うと、目から大粒の涙がこぼれて
きます(ただし、一度も愚痴不平不満を言ってはダメです。その瞬間に
カウントはゼロに戻ります)。」
「ありがとうの言葉を年齢×1万回唱えると、あなたの願い事が叶いま
す」
「ありがとうを1億回唱えたある人は、『雨が降っていても、その人が
外出した途端、雨が止む』『お店に入った瞬間、雨がザーっと降り出す
』などの現象が起きます」
「ありがとうを10万回唱えると、第2段階の奇跡が起きます」
「とある村では、100万回、140万回(ありがとうを)唱えた人が
いました(すばらしいことです!)」
「前述の『ありがとう1億回』の人は、睡眠時間、仕事時間を削って
一日20時間、ただひたすらに『ありがとう』を唱え続けています
(非常に素晴らしいことです!)」
・・・
俺の知る限りの、「小林正観さんのありがとう論」を書き出してみまし
た。これは本当でしょうか?
・・・
分かりません。

俺は、思うんだよね。
「ありがとうを一日中唱え続ける人生の、何が楽しいの?」ってね。
俺は小林さんのお話は好きだけど「奇跡が起きる、という言葉で人を
煽り立てる」という手法はあまり好きではない。
何度も繰り返すが俺の場合「奇跡が起きると信じて前へ進んでも、ほぼ
何も起きなかった」部類の人間だから。

「ありがとう」というのは「言葉」だよね。
「自分の意志を、他者へ伝えるための信号的手段」の一つだよね。
つまり「包丁」や「ハサミ」と同じ、「ある特定の用途を持って使う
べき手段」の一つである。
決して神様ではない

俺はこの人生を生きていく上で、信じ続けていることが一つある。
「俺は、人間としてこの世の中を生きて行きたい」。
俺は宗教的指導者を見ていると「?」の文字がいつも頭に浮かぶ。
他人を自分に盲目的服従させて、何が楽しいの?とね。
俺は「人間」。他者も「人間」。
人間と人間が、お互い自分らしさを発揮しながらこの世界を生きていく
。それがこの社会の理想だと考えている。

「大きな奇跡が起きて、あなたの夢が100%叶います?」
それはつまり、裏を返せば
あなたが唯物論的に努力した成果は、全て無意味ですよ」と言って
いるのと同じだ。

全ての願望が、「奇跡」によって叶うとしたら。
「自分の足で、目の前の道を一歩ずつ進む楽しさ」が消えてしまう。
斎藤一人さんはこう言っていた。
「対戦相手のいないサッカーって、面白い?」とね。
俺はこの言葉を少し改良して、こう問いかけよう。
「あなたの放ったシュートが全て魔法のようにゴールに吸い込まれる
サッカーの試合って、楽しいかな?」

シュートは、入らない。
練習すれば、少しずつ入るようになる。
だからサッカーは楽しいんだ。

「全ての夢が、魔法のように叶う世界」がもし、存在するとしても。
俺は絶対に、そちらには行きたくない。唯物論的な「リスク」「因果の
法則」がきちんと働くような世界で生き続けたい。

PageTop

笑い 小林理論2

「なんば花月」という、お笑いの劇場のところでとある実験が行われ
ました。落語を見た前と後の、「NK細胞」という、免疫機能を司る
細胞の、血液中の濃度を測ってみたのです。そうしたら何と、落語の後
の方が、濃度が上がっていたのです!つまり「笑いとは、健康に効果的
である」ということになります。その後その劇場の人たちは「我々は
健康産業である!」と言い出して、「NK細胞」のことを
「なんば花月細胞」と呼び始めました・・・


参考文献「宇宙を味方にする方程式

この実験自体は、「遺伝子ON、OFF」の話で有名な、村上和雄さん
のお話です。ですが小林正観さんは、これを著書で繰り返し取り上げて
います。

この小林正観さんは「ダジャレ」が上手である。

「ありがとう、という言葉を言うと、宇宙の神様からの支援が来ます。
『もうダメだ』と思った場所からも、思わぬ物が戻ってきます。
『シエーン、カムバック!』とね」

「アーナンダというお釈迦様の弟子は、お釈迦様亡き後の晩年、多くの
弟子から『釈迦はAと言ったのか?Bと言ったのか?』という論争に
ついての意見を求められました。しかし争うことが嫌いな彼は、Aを
支持する人に対して『まあ、そんなような』。B支持者に向かっては
『こうだったような』と、曖昧な返事ばかりしていました。
『アーナンダ、コーナンダ』ってね」

「感謝の足りない人生なんて、物足りないのです。
『クリープを入れないコーヒー』みたいなものです。ですがこの話、
最近分かってもらえないみたいなんです。ですから私は
『コーヒーを入れないクリープ』という言葉を言うことにしています。
もっと良い言い回しはないか、と探していたら、ある人がすばらしい
ものを、教えてくれました。
『ダジャレを言わない小林正観』」

(思い出しながら書いているので、おそらく言い回しは多少違っている
でしょう。)

PageTop

トイレ掃除 小林理論1

ある日とある研究者が「大金持ちに共通点は、ないだろうか」というこ
とに疑問を感じました。そこで彼は、世界中に調査団を派遣して、
徹底的に、洗いざらい、ありとあらゆる事象について調査しました。
そうしたら何と、たった一つだけ。
共通点が見つかったのです。それは
「トイレの蓋をきちんと閉めていること」・・・


この話が事実であるかどうかは分かりません。ですが、このようなお話
から、小林正観さんの理論は始まったといいます。この話を、とある
講演会会場で、聴衆に話した。そうしたら何と
「トイレの蓋を閉めていたら、臨時収入が入った!」という人が続出
したそうです。更に詳しく話を聞いてみると、「トイレのふたを閉めた
ついでに、トイレの汚れが気になった。だからそれも掃除するような
習慣がついた」と多くの人が言いました。

だから小林正観さんは「どうやらトイレ掃除をやると、臨時収入が
入ってくるらしい」という理論を、著書や講演会場でたくさん話すよう
になったといいます。

ここにロジック(論理的考察)は存在しません。
ただ「このような事実が起きましたから、このような仮説が立てられ
ますよ」と、言っているだけです。

しかし最近は「トイレ掃除をすれば、金運がアップする!」的な書籍
が大量に出版される今日です。
ツキを呼ぶトイレ掃除」とかね。

「芸能人のAさんは、トイレ掃除を熱心にやってました」
「素手でトイレ掃除をやると、臨時収入のケタが1つアップします」
「トイレには『うすさま明王』という神様がいるのです」
「7番目の七福神は、重い荷物を持っているから、最後に残ったトイレ
が持ち場になりました。その荷物には、金銀財宝が入っています」

などなど。
「トイレ掃除を熱心にやればいいですよ」の根拠として、たくさんの
理由が後から追加されていきましたが、その原点は「冒頭に書いた、
トイレの蓋についてのお話」なんだそうです。

これを理解しておくと、彼(小林さん)の理論の成り立ちが良く分かり
ます。

この人は年間300回以上講演をしていらっしゃる方です。
「ありがとうの言葉を、たくさん言いましょう」
「いつも笑顔でいましょうね」
などなど。日常生活で基本と思われる事柄を、「作り話」を交えて
面白おかしく伝える、という職業の人です。

ですからその自然な流れとして「掃除」「トイレ掃除」それを丁寧に
きちんと行いましょう。そのような話も当然、しゃべります。「そわか
の法則(掃除、笑い、感謝が大切だ)」という理論も、主張していま
す。

PageTop

自分らしく稼ぐ 小阪理論5

これにて小阪裕司さんの理論紹介は最後になります。
ここまでの文章が、これを読んでいるあなたの何かしらのお役に立て
れば嬉しいです。最後にお話しするのが、「自分らしく稼ぐ」の理論。

日本には今現在、大きく分けて2つのビジネスモデルがある。小阪裕司
さんはそのように言っていました。
一つは「アメリカ型、大企業モデル」。もう一つは「日本型、小さな
経営モデル」
(本当はもっとかっこいい名前だったと思いますが、今本が手元にない
ので、正確名称は忘れました。ですのでこのような名前を僕個人の判断
でつけさせてもらいました。)

「アメリカ型、大企業モデル」。これは分かりますね。
TVや新聞に取り上げられるような、あの会社組織です。
「上司」「同僚」「書類」「会議」「出張」・・・
このようなキーワードから推測される、あのような職場のことです。

もう一つの「日本型、小さな経営モデル」。
この場合は、「小さなお店」を例に取ると分かるでしょう。
上記のような作業とは無縁な、お客や取引先、社員と直に付き合うよう
な、暖かい職場(お店)のことです。

小阪裕司さんは、とある北欧(ノルウェーとか、スウェーデンなど)
の会社の、日本法人の設立に関わったことがあるのですが、そこである
発見をしました。北欧の企業経営と、日本のそれが似ていると。

その会社は「同属経営」。父親から息子へ、あるいは娘の婿となった
人物へ、代々会社が受け継がれていく。規模はあまり大きくなく、数人
で会社を運営している。

「あなたたちは、会社を大きくしたいとは思わないのですか?」と
何気なく小坂さんが質問したら。
「興味がない」だそうです。

無理に「アメリカ型経営」を追い求める必要はないんですよ。
自分自身の望む商売の在り方に、最も適したビジネスモデルを選べば
いいのですよ。
小阪裕司さんは、そのように主張しました。

ちなみにとあるコンビニ店(典型的な、アメリカ型経営ですね)の店長
が、小阪裕司さんの教えに従って、コンビニの売り方を工夫してみま
した。すると、大幅に売り上げがアップしたそうです。
ですが・・・
その商売手法は、会社の上層部の人間からは全く理解されなかったそう
です。他のコンビニより、圧倒的な売り上げ成績を残しているのにも
関わらず・・・

同じように、小阪裕司さんの教えた「布団屋さん」「お米屋さん」
「酒屋さん」。同業者から視察がたくさんくるそうなのですが、よく
ここでも似たようなことが起こります。
「お客を感動させる」という、その哲学を彼らに伝えても
「?」
という顔をされるそうです。

「塾の生徒たちの絆を強めるために、バッジを配っています!」と
言っている塾のオーナー。その取り組みを同業他社へ教えても・・・
「本当のこと、教えてくださいよ~」
と、突っ込まれるそうです。

何か「魔法使いのような、画期的なニュースレター」とか
「衝撃的なキャッチコピー」があるから、あんたたちのお店が売れてい
るんでしょ?
そんな目で、いつも同業者から見られるそうです。

参考文献「自分らしく稼ぐ

そのように誤解を受ける要因は「根元となるビジネススタイルの違い」
なんだと、小阪裕司さんは言っています。

PageTop

内村鑑三 小阪理論4

小阪裕司さんが著書で繰り返し引用する、内村鑑三氏のお話がある。

我々は今、この社会を生きています。
だからこそ「いずれ死にゆく我が身だからこそ、自分が死んだ後の
世の中に、何かを残したい」という気持ちを抱きます。
「自分が生きてきた証」それをこの世に残したい。そう思います。

では、私たちは何を残せるでしょう?
社会事業?名声?名誉?
どれも構いませんが、私(内村氏)はこう思うのです。
「自分自身の、生き様」。
自分が生きてきた、「この人生そのもの」。
それこそが、私たちがこの世に残すことのできる最も大きなものでは
ないでしょうか。

(俺自身の勝手な解釈で「口語訳」「超訳」しています。その点は
ご了承ください。この人は明治・大正・昭和時代の人です。)

「自分が作り上げた作品」
「自分の語る言葉」
「自分自身の地位、年収、社会的ポジション」というのは、あくまで
あなた自身の人生の結果としての、副産物でしかない。

それよりも「あなた自身の人生そのもの」の方が、大切ですよ。
「立派に人生を生きること」それが最も大切なことなんですよ。
たしか小阪裕司さんは、このように言っていた。

参考文献「天職の作法」そして「冒険の作法

PageTop

「仕組み発想」 小阪理論3

前回の「人を大切にせよ」のアドバイス。それを実行する上で、注意し
て欲しいことがある。小阪裕司さんはそう言っています。それは
「ちゃんとお金をもらいなさい。商売を成り立たせなさい」という
こと。

お客を喜ばせるのは、大切なことですよ。
だけど「お客だけを喜ばせるピエロ」では、決して商売は成り立ちま
せん。

「この包丁、よーく切れるんです!」と実演して、包丁のすごさを
見せ付けたのなら。
「では、これを買いたい人は、この商品を持って向こうのレジへ並びま
しょう!」とアピールしなくちゃいけない。

包丁の扱い方を実演して見せても、その包丁を買えない。
実際、その包丁が売り切れだったとしたら、実演なんてやめましょう。

だから、「売れる仕組み」を作る必要があるのです。
お客を喜ばせる。
 ↓
喜んだお客が、商品を買う。

という、2つのステップを、きちんと進んでいけるように、俺たち
商売人が「演出」しなくちゃいけない。

「包丁の扱い方を実演」
 ↓
「その包丁が、横にたくさん積まれている!」
 ↓
「それを持って、レジに行きたくてたまらない!」

と、そうお客にお金を使わせるような「仕組み」を作りなさいよ。
それが彼の「仕組み発想」の教えです。

「でも、お客からお金を取っていいの?」
そう疑問に思うあなた。
いいんです。

これは「おひねり」なんです。
道ばたの大道芸人に対して、100円玉を投げるのと一緒です。
相手を喜ばせたら、しかるべき代価を受け取っていいんです。

それが、小阪裕司さんの主張です。
参考文献『「儲け」を生み出す「悦び」の方程式―見える人にしか見えない
商売繁盛の「仕組み」とは

PageTop

「ひと」 小阪理論2

小阪裕司さんは売り上げを上げるためには「ひと」にフォーカスしろ、
と主張します。

例えば多くの「売れない会社の人間」。彼らは時として「データ」に
全神経を集中させます。「売り上げの推移」とか「売れ筋の商品は何
か」みたいなことをグラフか何かで割り出し、それを使って今後の方針
を、決定したりします。

また別の人は「商品」に意識を向けるでしょう。「今はやりのヒット
商品を、たくさん仕入れる!」とか「最新版の品を、いち早くお店に
並べる」など。「他者よりも良い商品を売ろうとする」ことで、競争
優位を保とうとするのです。

小阪さんはここで、このように言っています。
「フォーカスするべきは、あなたの目の前にいるお客。つまり人だ」
いまお店に来てくださっている人間を、いかに喜ばせることができる
だろうか。それを考えてみなさいよ。小阪裕司さんの著書に共通して
見られる主張は、これです。「お客をワクワクさせる」というのも、
その有効な可能性の一つです。

ちなみに小阪裕司さんが衣服の小売店の責任者をしていた頃。彼は上で
書いたような「データ」とか「商品」とにらめっこして、売り上げを
上げようと努力していたそうです。しかし彼はある一人の客によって、
方針を転換することになりました。それは・・・

私(小阪さん)の売り場に、あるご婦人がやってきました。彼女の話を
聞くと「同窓会に着ていく服を買いたい」とのこと。そこで私は彼女の
話を聞きながら、「このような感じの服がいいんじゃないですか」と
楽しく会話しながら、服選びに付き合ってあげました。買い物を終えた
彼女は「ありがとう。助かったわ」と言い、お店を後にしました。

それからです。彼女は頻繁に、私の所へ来てくれるようになったので
す。様々な目的。様々な理由で服を買うときに、私のところに来て、
服を買うようになりました。

(思い出しながら書いているので、俺自身の脚色が混ざっている可能性
があります)

さて問題です。この女性が小阪さんのお店で服を買うようになった理由
は何でしょう?
「値段」ではないですね。
「良い商品が置いてあるから」ではない、と小阪さんは言います。
どこにでもある、普通の衣料品店だったそうですから。

答えは「小阪裕司さんがいるから」。
「小阪裕司さんと会話することが、その人にとって楽しいから」
「小阪裕司さんのアドバイスに従って服を選ぶと、良い買い物ができる
から」。

ここに売り上げを上げるヒントがあります。
「データ」や「商品」ではなくて。
「(会社員、お店の店員である)あなた自身が、どうすればお客を
喜ばせることができるだろうか」を追い求めること。それが大切なので
はないでしょうか。このお話だって結局、小阪裕司さんが「洋服選びの
センス」だとか「服の種類についての幅広い知識」があったからこそ
その女性は、楽しく的確な買い物ができたのです。

だから「目の前の人間」を大切にしましょう。
「彼らを喜ばせることで、自然にお店の売り上げが伸びるんだ」と
考えてみましょう。
「大切なのは『データ』でも『商品』でもなく、最終的には『商品を
買うお客』なんだ」
と。

小阪裕司さんは、そう主張していました。

参考「図説 この世の中で一番知りたい「儲けの手帳」公開します!

PageTop

ワクワク 小阪理論1

とある不良品の、目のつりあがったパンダのぬいぐるみがありました。
もちろんそのままお店の棚に並べていたら、誰も買ってはくれないで
しょう。

今回から紹介していく小阪裕司さんの理論というのは、「いかにお客を
ワクワクさせることで、商品を売ることができるか」についての実用的
なテクニックについてです。

お店の人はこのパンダのぬいぐるみに、このようなメッセージをつけま
した。

「中国では呪いのパンダとして使われています」

もちろんこれはウソです。単なる不良品のぬいぐるみです。ですがこの
ようなPOP(販売促進のための張り紙)をつけたら、「ほお、なるほ
ど」と感じません?ただ「目のつりあがったパンダが置いてある」だけ
の場合と、このPOPが貼ってある場合を比べると、この方が何となく
売れそうな気はしませんか?もしかしたらギャグとして、誰かが買って
くれる可能性が出てきました。

もし「ただ目のつりあがったパンダが店の棚に置いてあるだけ」では、
こんなかわいくもないぬいぐるみ、誰も買おうとはしません。

小阪裕司さんは「商売人として物を売るためには、お客に感動を与える
ことだ」と主張します。別に今回のような「ギャグ」である必要はあり
ません。「行くたびに新たな気付きがある」「胸がホッとする、心が
落ち着く」「さわやかな気分になれる」でもいいのです。たとえば
「干物屋さん」の場合。あえて雰囲気を出すために、乱雑に見える演出
をする、というのも選択肢の一つです。(ホテルのようなピカピカの
お店に、ガラスケースに入って干物が売っていたら、どうです?売れる
はずがありませんね)

参考文献 「あなたにもできる「惚れるしくみ」がお店を変える!―
大繁盛のしくみづくり

PageTop

運命の人 佳川理論5

佳川奈未さんは「運命の人(ソウルメイト)」について、このような
見分け方を主張している。

一緒にいて落ち着ける。心が穏やかになる。懐かしさのような感情を
感じる。それが「あなたの運命の人と出会ったときの特徴」です。


反対に「話しかけられたとき、胸がドキッとなる」「心臓の鼓動が高ま
る」「胸がキュンとする」というのは、運命の人ではない可能性が
高い、と佳川さんは言っています。

何度でも繰り返すけどね。「胸がドキッとなる」関係の恋愛感情は
「恋」の感情だよ。あまり長続きするタイプの恋愛じゃ、ない。
短い期間だけ、燃え上がるような恋を楽しみたいと願う人間なら別に
構わないけれど。「本当にお互いの幸せを願う」「一緒にいればいる
ほど幸せが強くなる」という関係を望むのであれば、やはりその恋は
「不適切である」と言わざるを得ない。もう既に「好きになってしま
った」のなら止めようがないかもしれないが「今好きな人がいない」
というならば。ぜひこの判断基準を覚えておくといい。そうすると
相手選びに非常に役に立つ。厳密に見分ける、本当に幸せを掴みたいの
であれば「3日後日記」をやるのが一番だけど、この言葉は簡単に
自分の気持ちを見極める上で、非常に効果的だと俺は思う。

参考文献 「LOVE RULES

これにて佳川奈未さんの理論紹介は終了です。ありがとうございました。

PageTop