日々の進歩

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いじめ 体験談2

僕に対するいじめは中学2年生になっても続きました。
前回の記事に書いた女子とは別のクラスになりました。しかし
違う女子生徒からまた陰口などの嫌がらせが始まりました。

僕はある日注意しました。その女子と廊下で会った時に、あからさまに
僕を避けるような歩行ルートを取る彼女に対して言いました。
「お前ら、俺をそんな風に避けるのは止めてくれよ。お前がやっている
ことは立派ないじめだぞ」と。

そうしたら20分後くらいに彼女は別の女子生徒を連れてきて、その人に
「だってあなたはこんなことをしているから」などと理由を言わせました。
僕は「俺が直すべきことは直すから、お前らも止めてくれ」という趣旨の
ことを言ってその日は終わりました。

次回へ続きます。

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いじめ 体験談1

通常いじめの被害にあったら「親や先生など、身近にいる大人に相談
しなさい」と言われるのが普通です。しかし僕の場合それができません
でした。なぜなら僕は弱みを握られていたからです。ここではそれを
「A」と呼んでおきましょう。

僕には「A」という癖を抱えていました。幼少期は周囲に気付かれることは
ありませんでしたが、中学生頃にそれがクラスメイトにバレました。
中学1年生のときにとある女子から、授業中に
「あのさー、こいつAっていうことしてるんだよねー」
などと僕に聞こえるくらいの声で独り言を言われました。
僕は「そんなこと言うのは止めてくれよ!」と言い返したい気分でした。
しかし「A」が先生に知られると僕の立場が危うくなるため
屈辱的な気分と、悔しさを感じながら何も反論せず耐えました。

同じ女子生徒が友達と大声で休み時間におしゃべりしているとき。
僕は「声がうるさいんだけど、静かにしてくれ」と注意したら
「Aをやっているくせに!」と捨て台詞を残して彼女は去っていきました。
僕は胸にグサリとくるような、傷ついた気持ちでした。

これは立派な「いじめ」です。
「殴られる」「物を盗まれる」みたいな目立つものではないですが、僕は
いじめられたと思っています。
このいじめがあったため、僕にとって中学校は楽しいところではなかったです。
いつ「A」で冷やかし、からかい、侮辱、いやがらせを受けるか分からない。
そんな不安と怯えを抱えました。
先生に助けを求める、という選択肢はありません。前述した通りです。

(次回へ続く)
そのいじめは中学校2年のときに変化を迎えることになります。

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生きていく意欲2

僕は「ひげそり」が苦手でした。

僕は元々18歳まではあまりひげが生えない体質でした。
母親から言われていたこともあり、週に1回くらいはひげを
そっていました。しかし毎朝ひげを必ず剃る(そる)ことはありません
でした。

しかし高校卒業後ひげが大人並に生えるようになりました。しかも
学校や職場など、毎日のように誰かと顔を合わせることがありません。
両親から電動のシェーバー(ひげを剃る機械)をプレゼントされましたが
使うのは苦手で、いつもT字型のひげそりを使用していました。

現在の僕は毎日電動のシェーバーでひげをそっています。

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生きていく意欲1

僕は生きていく意欲の低い人間でした。正確に言うならば
統合失調症の発病前後に意欲が大きく落ちました。

僕は2004年9月から一人暮らしを始めました。それと同時に
「風呂」「ひげそり」「着替え」「洗濯」といった日常生活の作業への
モチベーションが下がりました。意欲が落ちたのです。

例としてお風呂に入る、体を洗うという行為を挙げてみましょう。
僕はインターネットにて収入を得る、生計を立てるという道を
選びました。普通の人のように学校へ行ったり、会社で仕事をしたり
しませんでした。

独立した直後は銭湯によく通っていました。しかし徐々に気持ちが
乗らなくなり、行かなくなりました。父親に風呂屋の回数券をプレゼント
されたりしましたが、それでも行く気は起りませんでした。

自宅のガスコンロでお湯を沸かし、ちょうどよい温度になったら
お盆に移して、そこにタワシをひたす。
あとは裸になり、石けんを使わずに体をこする。洗う。
そんな生活が何年か続いたでしょうか。

「人と話をするのが怖い」という気持ちもありました。
またテレビのCMなどへの抵抗感、反発心も大きかったです。
(シャンプーやボディーソープを買いましょう、という宣伝です)
当時金銭的に余裕がなかったので、お金をそちらへ回すつもりは
なかったです。

親。アパートの大家さん。コンビニやスーパーの店員。通行人。
誰一人としてそんな僕に注意(体がくさいからちゃんと風呂に入りなさい)
等をしてくることもない。
女性にモテたい、好かれたいという気持ちもない訳ではなかった。
しかし出会いの場そのものがないので、それを理由に身だしなみを
整えることがない。

背景を挙げればきりがありません。しかし僕は統合失調症と2008年に
診断されるまで、風呂に入る習慣はなかったです。

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統合失調症について6

(前回の記事の続きです)
僕は入院中、ほとんど人と話をしませんでした。
もちろん「薬を飲みましょうね」「はい」
「夕食の時間ですので食堂に来てください」「分かりました」等の
必要なやりとりは可能でした。また相手が話しかけてくれたならば
「どこに住んでいるのですか?」
「年齢はおいくつですか?」みたいな雑談に返答することは
できました。

しかし自分から友人を作ったり、話をするのはどうしても無理でした。
看護師の人や医師に「話をする人はいないの?」とか
「会話はできましたか?どんな事を話題にしましたか?」と
聞かれたこともあります。
かなり心配されたようです。

「人と話ができなくて寂しい、つらい」という思いもありました。
また矛盾していますが同時に
「人と話をしたくない、一人でいたい」という気持ちも抱えていました。

ここでも僕の「人とは違う、個性。特性」が現れていたのだと思います。

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統合失調症について5

僕は発達障害に近い特性を抱えていましたが、それをある程度
抑えることができた人間でした。

高校一年生のときです。土曜日に高校の授業があり、その後サッカー部
での練習が午後にあるという日がたまにありました。

その時「正午に授業が終わるのに、部活は3時からスタート」という場面が
まれにありました。試合に出るAチーム(トップチーム)が1時から練習をやり、
3時から下位のチームが始まる、という具合です。

多くの同級生たちが友達と雑談しながら3時まで過ごすのです。しかし僕は
違いました。学校の宿題や勉強をしていたのです。
「友達としゃべる」ことに興味がわかず、それよりも自分の生活を圧迫する
宿題などに時間を割こうと考えたのです。
睡眠時間を削って宿題をやるわけにはいかない。
先生から指示された勉強をきちんとやらないと気が済まない。
そう思っていました。

周囲からは「変わった人だな」と言われていました。
先生からは肯定的な評価を受けたこともあります。
しかしクラスメイトや上級生、下級生からは「変人」と見なされていたと
思います。

人とは違うことに興味を持つ。こんな僕の特性は統合失調症が悪化した時に
周囲からの支援とサポートの「ずれ」を生じさせる原因になりました。
(次回へ続く)

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統合失調症について4

僕はアンバランスな発達をしていった子供でした。

中学校3年生のときです。高校受験のために理科の時間で
復習のプリントを配られました。1年生の頃にやったことも
一部含まれています。

僕はその時、7割くらいの問題に答えることができました。
同級生から「ここの答えは何だっけ」と質問されても正しい答えを
教えることができました。周囲に驚かれたのを覚えています。

これだけならただの「成績優秀者」です。しかし当時の僕は大きな
問題を抱えていました。それは「友達を作ろうとしない」こと。
小学生からの友人はいました。また
「向こうが話しかけてくれたなら」友達になれた場面もありました。

「学校の勉強はできるのに、クラスでは孤立しがちな人」
「定期テストの成績は良い。しかし人間関係が苦手」
「同級生たちがワイワイと楽しく会話をしている中、いまいち
その笑いについていけない」
僕はそんな中学生でした。

僕が高校を卒業した時、友達はほとんどいませんでした。
一人暮らしを始めて、自宅でインターネットビジネスを開始したとき
サポートしてくれるような友人はゼロでした。
それが僕の統合失調症の早期発見を遅らせて、悪化を招いた
大きな要素の一つです。

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統合失調症について3

幼少時の僕は超能力への憧れがありました。

僕は幼い頃母親に大きな声で怒鳴られていました。
(僕の記憶する限り)後ろから「なおき!」と突然、びっくりする
くらいの大きな声で名前を呼ばれるのがスタートでした。

その後、10分間以上口論というか議論、お説教のような言い争いが
続くのが常でした。

そこで僕が考えたのが「後ろを向きながら母親の怒鳴り声を予期できない
だろうか?」ということです。
超能力というか心の目のようなもので
神経を研ぎ澄まして、全身で、肌で感じるようなイメージで
母親の第一声を感じ取ろうとしたのです。

しかしその試みは失敗に終わりました。いくらがんばっても彼女の声は
予測できないような、びっくりするようなタイミングでやってくるのです。
僕は「自分が超能力を習得することは無理なようだ」という結論を出して
そのような努力は止めました。

この幼少時の体験がのちの僕に影響を与えることになります。
いる?いない?のひみつ」というオカルト系の書籍の
「超能力者」「天才占い師」などの箇所を夢中で読んだりしました。
サッカー部でレギュラーになれなくて悔しい思いをしているとき、自然に
「気」「気功」についての本や超能力についての本を読んで
何かヒントになるものはないかと探したりしました。

こんな僕が統合失調症の「急性期」を迎えたとき。
超能力的な思い込みを抱くことになりました。

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統合失調症について2

僕は恋愛における冷やかしが嫌いでした。
それも統合失調症に影響を与えた要素のひとつです。

例えば小学校一年生の学校のクラスの時です。
多くの子供が同性(男の子同士、あるいは女の子同士)で
グループというか友達を作り、遊んでいます。

そんなある日特定の1組の男女(C君とDちゃんと呼びましょう)が仲良く
なりました。一緒に登校したり、遊んだり、放課後お互いの家で仲良くしている
と仮定します。あなたならどうしますか?

特に何も感じない人もいると思います。しかし一般的に言えば
「ねえねえC君、Dちゃんのことが好きなの?」と質問したり
「DちゃんはC君と付き合ってるの?恋人同士なの?」と冗談交じりに
からかいの言葉を言ってくることが多いはずです。

僕はこのようなタイプの「冷やかし」を受けるのが嫌でした。それ故に
好きな人(女の子)ができてもその子に積極的に話しかけたり
周囲にばれる(見抜かれる)ような言動はほとんどできませんでした。

中学校に入っても同じでした。
高校でもそのような傾向はますます強くなりました。
僕は「恋愛がしたい。でもできない」というストレスをどんどん強くして
いきました。

「どうして俺には恋人ができないんだろう?」と頭の中で悩む日々。
もちろんほかの事(勉強やサッカー、進路など)を考えることもありましたが
統合失調症の発病に大きな影響を与えました。

マンガでわかる!統合失調症
統合失調症についての予備知識がない方はこの本を読んで下さい。

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統合失調症について1

僕は他人から言われた言葉を、そのまま受け取る人間でした。
言葉の意図をくみ取ることは苦手だった記憶があります。

小学校一年生のときです。人生最初の「作文」の課題が出ました。
そのとき先生はこう言いました。
「この前行った遠足で、楽しかったこと。
うれしかったことなどを自由に書きましょう」

僕は以下のような作文を仕上げて先生に提出しました。
「この前遠足へ行ってきました。
楽しかったです。
うれしかったです。
言われたこと。『どけっちゃ』」

ちなみにどけっちゃとは、「じゃまだ」とか「どいてくれ」という意味の
山口県地方の方言です。
(僕は当時山口県に住んでいました)

先生にこの文章を見せたら、OKをもらえました。

今思い返せば当時の僕には「発達障害」に近い部分がありました。
3回、4回と作文をやるうちに人並みの文章を書けるようになりましたが
「遠足でAという出来事がありました」とか
「Bに感動しました。すごかったです」
みたいなことは最初は書けなかったですね。

この僕の「言葉をそのまま受け取る」という特性。
のちに統合失調症を発症する際、大きな影響を僕に与える
ことになります。

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少年サッカーの上達15

フェアプレーを心がけてください。プロサッカーの試合では
イエローカード、レッドカードが出るファウル(反則)がたまに見られます。
あなたはその真似をしないでください。
「もし自分が相手選手だったら、こんな乱暴なファウルをされた時
どう思うだろう?」

そう相手の気持ちを考えるのを忘れないで下さい。

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少年サッカーの上達14

完璧なプレーを追い求めすぎないようにしましょう。サッカー
というのはよほどハイレベルな選手でない限り、どんなにがんばって
もトラップミスやパスミスが出てしまうスポーツです。
そこにつけこんで一部のコーチたちは「そこは、こうトラップすれば
良かったでしょ」と、上から目線のアドバイスをしてきます。また
上手なチームメイトが「もっと正確なパスを出せ!」と怒ってくる場合も
あるかもしれません。

これら外部のアドバイスや忠告は参考になる場合もあります。しかし
完全に言う通りにするのはまず不可能です。

あなたが自分の実力の範囲内で全力を尽くせばそれで十分です。

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