日々の進歩

コメントへの個別返信は休止中です。ご了承ください。

無気力克服の体験談5

僕は高校3年生のとき、大きな挫折を経験しました。
それ以降、かすかな無気力感が僕に生まれました。

僕はサッカー部にてレギュラーになる
(公式試合に出場し、活躍する)ことを夢見ていました。
杉崎仁志さん(前述)を始めとする成功哲学
を信じてがんばっていました。

しかしその夢は叶いませんでした。
東京都の西が丘サッカー場にて、僕が観客席にて
公式試合の敗北のホイッスル(笛)が吹かれた時。
ものすごく辛くて悲しい気持ちでした。
絶望したのを覚えています。

あいつらの言っていた言葉は嘘だったんだ。
そのときに体で感じて学びました。
「あなたの夢は必ず叶う」
「努力は人を裏切らない」
「根性で徹底的にがんばれば必ず成果が表れる」
そういった理論に対してそれ以降
「違う!」と反発して、反発しながら読書を
始めることになりました。

これも現在まで残る無気力のきっかけの一つです。

次回は高校卒業後の自由(時間的自由)な生活と
無気力の悪化について詳しく書いてみます。

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無気力克服の体験談4

「真面目なことに手を出せない」
それが僕の無気力の2つ目のステップです。

勉強は好きでしたよ。
しかし「医学」「福祉」「法律」みたいな難解な
言葉を小さい頃の僕が読むと
頭がクラクラしてきました。まるで
幼少時、僕の母親から「ちょっと難しい理論」を、雨あられ
のように浴びせられたときのような気分でした。

僕の復活のタイミングは2つあります。
14歳のいじめの後と、24歳の統合失調症改善後です。

中学2年のとき、僕は
「とにかく本を読んで強くなってやろう」という憎しみに
似た激しい思いでいっぱいでした。
24歳の前後は統合失調症に関する本を徹底的に図書館で
読んだのが始まりです。
そこから精神医学全般へと進み、医学、障害者など
様々な福祉系の理論を深めることになりました。

次回へ続きます。次に話すのは
「高校3年生時、サッカー部での挫折」前後のことです。

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無気力克服の体験談3

僕の無気力のきっかけは、幼少時にまでさかのぼります。
母親の「家事をしなさい」「料理を手伝いなさい」に
反発する気持ちから始まりました。

僕の母親は料理、洗濯、買い物などを家の中で
中心的に行う存在でした。
父親は仕事中心で、家事は補助的にしか手伝いませんでした。

母は教育行為の一環として、僕ら3人の子供に
自分のする家事を手伝うように要求してきました。
僕は当時強く反発しました。なぜなら
家の中であそこまで暴言を吐かれているのに、なぜ
この女性に従わねばならないのかという思いでした。

その思いから僕は家事の手伝いを拒否しました。
今でも僕は料理は苦手です。
一人暮らしを始めたときも、根性でがんばりましたが
3ヶ月でやる気が失せました。
非常に労力を使い、体力を消耗させたのを覚えています。

(次回へ続く)

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無気力克服の体験談2

あなたの無気力を治すには薬(抗精神病薬)を
使うことが選択肢としてあります。

知っていますか?
統合失調症の診断基準には「著しい無気力」という
項目があります。

「あー私、何か勉強のやる気が出ないなあ」
「そうだ!私って統合失調症かも?」
という短絡的な考えを持たないことができる
人間に向けたアドバイスです。

気分の波を完全に消すことはできませんが、あなたの
心の奥底に流れる無気力を、じっくりと治す
主要な柱の一つになります。

不登校、登校拒否、引きこもりに対応する際は
「精神科医による診察」が有効な選択肢です。
(参考文献 社会的ひきこもり
この本では「スキゾフレニア」と表記されていますが
つまり統合失調症のことです。
この本は病名変更前の1998年に書かれました。

どんなアプローチを取るにしても、まずはその人が
「統合失調症であるかどうか」を医師に診てもらう。
それが非常に効果的です。
「統合失調症ではない」となった時点で
精神論的なアドバイスが入るでしょう。

体験談的なアドバイスは次回書きます。

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無気力克服の体験談1

「小さくがんばる」。
僕を変えた言葉の一つです。

普通テレビやマンガでは「とてもがんばる」人のことが
特集されています。そういった人たちのことを見て
劣等感を抱いたり、自己嫌悪に陥ったりする
こともあるでしょう。

しかし僕は違うと思います。
よく僕は自分に言い聞かせている言葉に
「あれは『うつ』を発症していない人向けの言葉だ」
というのがあります。僕は正式な診断を受けていませんが
うつ(うつ病)的な要素を抱えています。
無気力とか、やる気のなさみたいなものです。

そんな人には「小さくがんばる」ことをお勧めしておきます。
今の自分よりちょっとだけがんばって行動してみる。
そうすると苦しいですが、少し行動の幅が広がります。
それを気長に続けるのです。

参考文献「その不安、ニセモノではありませんか?
(次回へ続く)

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内気克服法の技術面4

言語能力の強化という目的もあります。

僕が2004年に作った内気克服法では
「人からプレッシャーを受けた状況下での
言葉をやり取りする力を高める」という意図が
ありました。

家族。親友。休み時間。
比較的プレッシャーは弱めです。
しかし職場。学校。公の場面。
プレッシャーがやや高くなります。

この「高いプレッシャー(心理的圧力)」を感じている
ときに「普段と同じような思考、ものを判断する
力」を発揮できるようにしたいと思いました。

具体的な手法は「内気克服法の技術面1」から
「内気克服法の技術面3」までを参照ください。

僕のこの技術面のお話は以上になります。
次回からはもう一つのコメントの質問に対する
返事を書こうと思います。

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内気克服法の技術面3

恐怖を克服する技術面は高岡英夫さんの「ゆる」の
考え方を少し参考にしました。

力が入っていて、痛くて苦しい状態が「悪」。
余分な力の抜けた、何もない快適な状態が「善」。
彼の著書およびトレーニングから僕が導き出した
当時の結論です。

昔の内気克服法で
「恐怖の感じない状態で行動できるようになりなさい」
と教えていた理由の一つにこれがあります。

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内気克服法の技術面2

「恐怖の場所」という概念はヨーガの「チャクラ」
という考えから取り入れました。

僕がかつて教えていた内気克服法には以下のような
記載がありました。
「あなたが対人関係で恐怖を感じているとき。
体のどの部分で苦痛を感じていますか?
胸が締め付けられるような感じだったり
のどに緊張が走ったり、人によっては
みぞおちが固くなったり、お腹が痛くなったり
することがあります。」

これを自覚して、軽減したり取り除いていくことが
僕の昔の理論の主要な柱の一つでした。

ヨーガの理論の一派では、チャクラといって
体の特定の場所にエネルギーが流れるスポットの
ような箇所が存在すると教えています。
「7つのチャクラ」なんて言葉もあるくらいです。
これの影響を少し僕は受けました。
(次回へ続く)

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内気克服法の技術面1

「自分の親指を人差し指と中指の間に入れて
握る」というアイデアは、インナーチャイルドという
本からいただきました。

僕がかつて発行していた内気克服法では
「怖くて逃げてしまった場面をイメージしながら
左手を握り」
「その恐怖に健全に立ち向かえているイメージをしながら
右手を握る」という条件反射をつけます。

それを過去の苦しかった出来事に対して行う。
それが僕の理論の一つでした。

インナーチャイルド(ジョン・ブラッドショー著)

(次回へ続く)

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中村天風

僕は中村天風さんの書籍を読んで驚きました。
言っていることが杉崎仁志さんとそっくりだった
からです。

プラス思考でいろ。
感謝の心を忘れるな。
自分の願望を口に出して周囲へ伝えろ。
成功したイメージを思い描け。
などなど。

中村天風さんは戦前に生まれ、1960年代にかけて
活躍した思想家です。
それに対して杉崎仁志さんの著書を僕が入手したのは
1990年代です。

先に中村さんの本に出会っていれば、僕は杉崎さん
の有料講座にあそこまでお金を注ぐことはなかった
ろうに。今はそう思います。

中村天風さんの著書「運命を拓く」

コメントで受けた質問に対する答えは以上になります。
ほかに何か聞きたいことはありますか?
今回は精神面でのことを中心に書きましたが
技術面(恐怖を克服する方法)についても希望があれば
このブログに記述します。

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内気克服法の考案3

僕が自分の内気克服法を考案したとき。
杉崎仁志さんの「竜宮虎書」という成功哲学講座をベースに
している部分があります。

この人の名前を出すのはブログでは初めてです。
以前「あなたも人と話すのが楽しくなる」という
メールマガジンで言及したことはありますが、これを
覚えている人はまずいないでしょう。
(2004年頃書きました)

「甦れ!伝説に潜む成功新理論」という彼の著書を図書館
で借りて読んだのが始まりです。
有料講座である「竜宮虎書」を受講してみましたが
僕の願望(プロサッカー選手になること)は叶いません
でした。

イメージングで夢が叶う。
過去の経験を振り返って、潜在意識をクリーニングせよ。
そう主張していました。

(次回へ続く)

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内気克服法の考案2

僕には「イメージトレーニング」の文化がありました。

これは単純な空想とは別物です。
「スポーツ選手が、試合前に良いイメージを浮かべる
訓練をする」行為を僕が発展させたものです。

七田眞(しちだまこと)さんの理論をベースにした
「鮮やかで鮮明なイメージを描く訓練」と
スポーツ選手向けのイメージトレーニングを
僕が合体させて作りました。

僕が旧バージョンの内気克服法で
「困難な場面で勝利するイメージを繰り返しなさい」
みたいなことを指示していたのは、僕が
それを行っていたからです。

(次回へ続く)

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内気克服法の考案1

僕には「自主練(自主練習)の文化」がありました。

分かりやすい例を挙げれば筋トレメニューですか。
「毎日腕立て伏せを10回、腹筋運動を10回やろう」
みたいなことを自主的に行うものです。

僕は幼少時からピアノを習っていました。
そのため「自分との戦い」である自宅での自分の意志に
よる訓練を行う習慣がありました。

サッカーでも同じようなことをしました。
「上達のためにインサイドキックを左右の足でそれぞれ
10回ずつ練習しよう」などを紙に書き出して
トレーニングに励みました。

僕が自分の「内気克服法」の中で、トレーニングの
ようなものを昔提示していたのは、このような過去が
あるからです。

次回へ続きます。

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SQ3R法

読書のテクニックの一つである「SQ3R法」を紹介します。
これは昔読んだ「アメリカ式記憶トレーニング」という本に
書かれていたもので、現在の僕も使用しています。

1.2ページ読む(見開き1枚分)
2.要約する。「この2ページで著者は要するに
何が言いたいのか?」を自分に問いかける。
3.体力が余っているのなら次の2ページを読む。
そして同じく「2.」を行う。
4.本の「章」や「一部分」など区切りのいいところで
また要約する。「この第二章で、著者の主張は何か?」
5.本を読み終えたときにも要約する。
「大まかに言うと、この1冊の本でこの作者が
言いたかったことは何だろうか?」と問うことで
自分の理解を深める。

僕は14歳のときに読書を始めました。
大人向けの「一般書」を中学生がいきなり読むものですから
その難しさに困惑しました。そのときに大きな助けになった
のがこの「SQ3R法」です。
このやり方を使って本を読むと、その主張が僕の頭の中で
より的確に理解できるようになりました。

注意 この手法には僕のアレンジが加わっています。
厳密なSQ3R法を知りたい方は自分で勉強してください。

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現状 恋愛体験談補足

情報漏洩が怖いので個人情報は書けないですが
言える範囲内で自分の現状について述べてみます。

住んでいる場所は大阪府です。
2010年に引っ越ししました。

今年の三月に就職が決まりました。
いま働き始めて6か月です。

精神科デイケアに通っています。
服薬を続けています。
病名は非公開です。ほかのブログ記事には書いてあるので
それを参照してください。

ほかに質問があればコメントに残してください。

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医学モデルと障害モデル

統合失調症には大きく分けて2パターンの
支援アプローチがあります。
一つ目は「医学」。病院、先生(医師)、服薬など
医療的な視点からのケアになります。
二つ目は「障害(障害者)」。福祉、作業所、
障害年金、障害者雇用など、統合失調症患者を
「精神障害」と分類して支援にあたるものです。

統合失調症は精神障害の一つです。
これまで学校では教わってこなかった領域です。

ちなみにどちらでも目指すものは一緒です。
医学では「治す、治療する」
障害では「ともに生きる、本人の幸せを尊重する」
と、微妙に言葉は変わりますが
僕は同じことだと思っています。

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恋愛体験談8

現在の僕の状況についてはノーコメントです。
自然な範囲内で同年代の人とつながりはありますし、
去っていく人もいました。

ただ高校時代の知り合いは一人も残っていません。
高校3年のとき。
「俺は大学へは行かず、インターネットで食べていく」
と宣言したとき。
誰か一人でもいいから女性がついて来て欲しかったな
とは思います。
当時思いを寄せる女の子はいましたが、3年生のクラス
では別々の教室でした。
自分の側からコンタクトを取ることも
できませんでした。
僕はプライドが強く、女子に媚びることはできない
性格でした。

これにてこの連載シリーズは終了します。
次回のテーマは未定です。
希望があればコメント欄に残してください。

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恋愛体験談7

精神科病院に入院中、僕のことに興味を持って
くれる人はいました。精神的に弱っていて、
追い詰められて、おびえている僕のことを
当たり前に話しかけてくれる人はいました。

ただ一度目の入院では辛かったです。
上記の女性との出会いは二回目の入院先でのことです。

最初の病院では女性が4人くらいでグループを作って
いました。僕がたまたまそのテーブルに夕食のときに
座ろうとしたら「ここでは私たちが一緒に食べるから
座らないでくれ」みたいなことを言われました。

2回目の病院では座席は毎回変動するのでそんな行為は
されなかったです。

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恋愛体験談6

ここからの描写は控えめでいきます。なぜならこの
ブログ上に現在も読者として当事者が待機している
可能性があるからです。

僕は高校卒業後、インターネットでの自営のビジネスを
個人で始めました。

実質「引きこもり」です。ネット以外の人間関係は
ほとんどなかったです。

僕のホームページを読んでくれた方の中には
男性も、女性もいました。
当然僕に対して相談を持ちかけてきたり、
コミュニケーションを取ることもたまにありました。

しかしそれ以上深い仲になることはなかったです。
次回は統合失調症として入院した頃の体験を
書こうと思います。

参考 自分の居場所を求めて

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恋愛体験談5

高校でも恋人はできませんでした。
好きな人はいましたが、世間話程度で終わりました。

当時サッカーに熱中していたことも理由の一つとして
あると思います。

次回は高校卒業後のことについて書きます。

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恋愛体験談4

(前回の続き)
僕は中学生のとき、別の人を好きになりました。
しかし片思いで終わり、その女性は僕の中学卒業時に
別の男性と付き合っていました。

ここで僕が受けたいじめについて再度触れておきます。
僕を中学1年のときにいじめていた同級生(女、Zさんと
ここで呼びます)は当然ながらその触手を
「僕の好きな人(Yさんと呼びます)」
にも向けてきました。

「あのさー、こいつYさんのことが好きなんだよねー。
この前(中学校1年生のとき)行った林間学校でも
キャンプファイアーのとき取り乱していたし」

後ろを向いた状態の僕に対して、僕が傷つくような
言葉を言ってきました。

そのYさん本人に落ち度はありません。
彼女は人気者で、クラスで多くの男性から好意を
持たれていました。実際その林間学校でも、僕に
誠意を持って向き合ってくれました。

悪いのはZさんです。
僕の恋愛感情を不必要にあおり立てて、茶化して
僕がそれを嫌がるのを知っていてそれでも
僕が苦しむのを見て楽しそうに笑っていましたよ。

僕はYさんとほとんど会話することなく、中学生活を
終えました。

僕は少し離れた、自分の中学校から僕一人しか進学しなかった
偏差値の高めのサッカー強豪校へ進学しました。
物語は続きます。
次回は高校での思い出についてです。

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恋愛体験談3

僕は小学校5年生のとき、当時好きだった
女の子からチョコレートをもらったことがあります。
バレンタインデーにです。
手作りのチョコで、けっこう本格的に作ってあったので
義理チョコみたいなものではなかったと思います。
しかしもう一人、僕のクラスメイトにその子から
チョコをもらった人がいました。
ホワイトデーにお返しをしましたが、その後は
これまで通り過ごしました。

その彼女とはけっこう話すことはできていました。
相手を喜ばせることができたのかなと
当時を振り返って思います。

しかし中学校入学後はその子との関係は疎遠になり
悪い出来事(中学2年に始まったいじめ)も重なり
僕と彼女の仲は進展することはありませんでした。

次回は中学校時代のことについて書きます。

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恋愛体験談2

小学校低学年のとき好きな人はいました。
しかし僕は内気なタイプでした。自然な範囲内で
話はした記憶はあるんですけれども、親密な関係には
進めませんでした。

その恋の終わりはクラス替えと、僕の引っ越しです。
3年生のときに別のクラスになり、4年生の6月に
僕は山口県岩国市から東京都大田区へ引っ越しする
ことになりました。その子とは連絡はとらず、
実質失恋という終わり方をしました。

僕が「人と話ができるようになりたい」というスローガン
を掲げている背景には、このような過去があるからです。
その女子は明るい積極的なタイプの男子と楽しそうに
会話していたのを覚えています。
僕が勇気を出そうとしても怖かったのです。
当時の会話スキルでも「同じ時間を一緒に過ごす」
ことは困難だっただろう。
そう今振り返って思います。

あとは「好きな人がバレるのが怖い」という、独特の
僕の価値観も指摘しておきます。
周囲に自分の好きな人が知られてしまったら。
応援、協力してくれる可能性が出てくる一方で、からかいや
攻撃の的となるかもしれない。
そう昔の僕は考えました。

コブクロ「ALL SINGLES BEST」の太陽という曲
みたいな感じです。あれほど僕の場合仲良くはなって
いないですが。

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恋愛体験談1

幼稚園時代僕はシャイな男の子でした。
男女分け隔てなく付き合うというよりは
同年代の女の子のことを「かわいいな」「きれいだな」
と意識してしまうタイプでした。

女の子側が話しかけてきてくれたなら、僕は会話ができました。
しかし自分から女の子たちのところへ会話に行く。そんなこと
は周囲の目も気になり当時の僕には困難でした。

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2度目の裏技はできない

(前回記事の続き)
僕は高校入学のとき、裏技を使ったつもりでいました。
そして高校卒業のとき、進路を選ぼうとして
感じたのは
「2度目の裏技はできないな」という気分です。

高校サッカーへの挑戦である程度、自分の恨みを晴らす
ことができた。周囲を驚かせることをした。

で、次はどうしようか?
プロサッカークラブの入団テストを受けても
自分の実力では落とされるだけだ。

また「勉強の頭の良さ」を使用して大学へ行き
大学サッカーを始めるのはどうだ?
うーん、何か違うなあ。

もう既に一回裏技を使っているし、二回も同じことを
するのも芸がないな。

プロサッカー選手は楽な仕事ではないし、もっと
直接的に人の役に立てる仕事がしたい。
そうだ!自分でホームページを作って
自分の体験談を発表しよう。
そうすれば自分の個性(オリジナリティ)も出せるし、
苦しんでいる、困っている人を助けることにもつながる。

そして出来上がったのが
「あなたも内気・人見知り・対人恐怖症を克服できる!」
「サッカー上達のための頭のテクニック」
の2つです。ご覧のとおりです。

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裏技の使用

僕は高校サッカーを始める際、裏技を使ったつもりで
いました。

プロのクラブチームのユースに入るのが「普通の技」です。
サッカー強豪校に「サッカー推薦で入る」のも普通の技だと
思います。

僕は学力の高さで文武両道の高校へ進学し、そのまま
サッカー部に入部しました。中学校時代レギュラーに
入れなかったこと。自分のサッカーが下手だ
(当時そう思っていた)ということは伏せたままです。

当時の僕は裏技(普通じゃない行為)をした。
そう思いました。

僕は人生を捨てたつもりでいました。
いじめを受け、社会からも認められず、世の中への
復讐心であふれていました。
しかし少年非行として扱われるのも嫌だったので
当時の選択肢の中で、合法的なルートを選びました。
(次回へ続く)

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