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日々の進歩

コメントへの個別返信は休止中です。ご了承ください。

Kanonについて

僕が好きになったのは「水瀬名雪」と「月宮あゆ」です。

水瀬名雪は落ち着きというか穏やかさに好感を感じました。

月宮あゆは積極性と消極性のバランス。すなわち
「相手にどの程度アプローチをかけて、そして
どの程度見守るか(受け身でいるか)」の度合いが
とても上手なキャラクターだなという印象を持ちました。

テレビゲーム「Kanon

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あかりエピソード3

「俺の部屋へ行こうぜ」。
藤田はそう神岸あかりに誘いました。

あかりの風邪が治ったあとのことです。
彼女が浩之のところへ「夕食を作りに行きたい」と
言い出しました。
あかりは家事が得意です。

買い物から始まり、料理、食事。
それらを終えた後、落ち着いてから
藤田浩之はあかりに冒頭の言葉を言いました。

これはおそらく「性行為(セックス)」の可能性を考慮に
入れての言葉でしょう。

あかりは迷います。困惑します。
しばらく迷ったあと、「帰るよ・・・」と返事して
近くにある彼女の家へ戻っていきました。

浩之は後悔します。絶望的な気分になります。
しかしそこで、玄関のチャイムが鳴りました。
何とあかりが戻ってきたではありませんか。

「お母さんには『志保(あかりの親友、女友達)の家に
泊まるかも』って伝えておいた」
これは性行為の受諾、とも取れる返事です。

藤田はここで、あかりにNOを言います。
「俺はあの言葉を言った後、後悔してたんだ」
「今日はもう帰れ。俺の気持ちの整理がついちまった。」

その日の出来事はそれで終わります。

以下、解説です。僕はこのエピソードを体験して(ゲーム上で)
浩之の勇気やあかりの「思いに応えようとする覚悟」に
感動したものでした。

荒削りなストーリーながら、その展開に夢中になりました。

深く知らない読者のために、説明を加えます。
このゲームは最初「アダルト(18禁)ゲーム」として
スタートした商品です。
それが「全年齢対象版」として性行為シーンをカットして
プレイステーションに移植されたのが
僕のプレイした「To Heart」です。

僕は未プレイなのですが「To Heart(アダルト版)」も
存在します。

僕は性をタブー視するのは嫌いです。
だからといって過剰に注目を注ぐのは違うとも思っています。
プレイしたいと思っている人だけが入手すればいいと思います。

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ゲーム

非公開コメントへのお返事です。
連載の続きは次回に回します。

僕はkeyも知っています。
「Kanon」「Air」「Clannad」「リトルバスターズ」
などを発売した会社だそうですね。プレイしたのは
「Kanon」だけです。

紹介ありがとうございました。
新しいソフトがあるということで、気に留めておきます。

恋愛については応援しています。
いつかお互い、自分が納得できる形で異性と上手に
つながれるといいですね。

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舞台設定

「To Heart」の藤田浩之は物語開始時は一人暮らしです。
両親が仕事の都合で長期的に家を空けていて
一軒家の自宅に一時的に一人で住んでいます。
お金に困っている描写はないので、おそらく
両親は仕事をしているのでしょう。
詳細は省かれています。

(次回へ続く)

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あかりエピソード2

藤田浩之はあかりにキスをしました。
物語後半のある日、登校した浩之はあかりが
いないことに気がつきます。先生に確認すると、風邪で
お休みだということです。
浩之はあかりのお見舞いにいくことに決めました。

ちなみに2人は幼馴染で、お互いの家は知っています。

体調不良であかりは寝ていました。
もちろん玄関での応対など、簡単なことはできます。
しかしベッドで横になっていることが多い状態でした。

浩之はあかりにキスをして、あかりもそれを受け入れます。

話は変わりますがその当時僕が読んだ本にはこれは
「やってはいけないこと」だと書いてありました。
ケガや病気で入院したりしている異性に対して
恋愛的なアプローチはしない方がいい。
相手への同情心、心配などの感情と自分の思いが混ざって
正確な判断ができなくなる懸念がある。

相手の体調が良くなって、それでも相手のことが
気になるようだったら、告白などをすればいい。
恋愛について書かれた自己啓発書にそのような記述が
ありました。

このゲームの藤田浩之は完璧な人格者という訳では
ありません。失敗や暴走(先走り的な行動)もたまに
見受けられます。
「自分だったら、このような行動はしないのになあ」
など、自分で解釈しながら読み進めるのが良いかと
思います。

To Heartビジュアルファンブック
ゲーム中に登場するCG(絵、決定的なシーンに登場する
グラフィック)と、それに対する制作スタッフのコメントが
書かれているそうです。

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あかりエピソード1

ある日の休み時間、神岸あかりが怪我をしました。
足首をひねった、捻挫したみたいなのです。
とある女子生徒に付き添われて保健室へ向かう途中に
主人公は彼女に出会いました。

藤田浩之(主人公)は「自分が連れていく」と言って、
その後人目がないのを確認してから
「お姫様抱っこ」で彼女を抱えて保健室の前まで
運んでいきました。

PC(Windows XPなど)用「To Heart

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ゲームシステム

To Heartの舞台は共学の学校です。
男性と女性がほぼ同数存在します。

主人公は高校1年生です。(物語スタート時点)
高校1年の終わり、3月頃からストーリーが始まります。
卒業式(その学校の3年生の)。
春休み。
新学期、2年生への進級。
後輩(新しい1年生)の入学。

その中で出会う主人公と様々な女性との恋愛が
この話のテーマになります。

活動のメインは学校の授業外です。
例えば放課後であるなら
「Aさんと遊びに行く」
「Bさんのいる部活に顔を出してみる」
などをゲーム上で選べます。

会話中の言葉の選び方、主人公の行動の違いによって
様々な方向へストーリーが進展していく、という形式の
テレビゲームになります。

To Heart恋の手ほどきマニュアル
プレイステーション版の攻略本です。

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告白シーン

「私は浩之ちゃんが好き。そしてそんな自分も好き。
そんな二人が大好き!」
「好きっていう気持ちは一つじゃないよ。その時その時で
いっぱいあって、その全てを満たして欲しい。だから同じ
関係のままじゃ嫌なの」
「ちょっと欲張りかもしれないけど、それが私の希望だよ」

テレビゲーム「To Heart」に登場する言葉の一部です。
思い出しながら書いているので、一字一句同じ訳ではありません。
それはご容赦ください。

このゲームの主人公は「藤田浩之」という名前です。
この言葉は「神岸あかり」という女性(女の子)キャラクター
によって言われたセリフです。

僕が当時強く感動したシーンです。

PSP(プレイステーションポータブル)版「To Heart

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枝分かれ前の世界

人は様々な職業に就きます。
人生の生き方は多様です。

しかしごく一部の人間を例外にして
「学校」という世界は必ず通り抜けるものでしょう。
学校が完璧なシステムであるとは僕は思いません。
しかし現在稼働していて、ほぼ全ての人間が
通り抜ける(一時的にせよ滞在する)世界。
それが学校だと思います。

これから説明するゲームソフト「To Heart」は
数多くある学校を舞台とした物語の一つです。

様々な職業へと分かれて進む、その前の
「共通世界」を描くストーリーです。

ある人はプロサッカー選手になり。
別の人は歌手になった。
また、志(こころざし)半ばで命を落として
散った夢がある。

みんなが「そうだったよね」と共感できる
木の「幹」や「根」に近い
(枝や実ではない)
世界です。

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PTSDの軽い症状

冷静さを失ってしまった部分はあったので
それについては謝りたいと思います。
すいませんでした。

これまで通り、素の(ありのままの)自分を大切にして
人生を歩んでいきたいと思います。

前の記事に書いた知人には「反応が薄い」ことで
責められたというか、かなり厳しい口調で咎められました。
それと重なって、あのような反応になってしまったのかも
しれません。

個人情報になってしまうので詳しくは書けませんが
「急にやり取りを遮断された」
「会っても挨拶程度しか、してくれなくなった」
など、とても寂しくて辛い経験になりました。

あと念のため、医学的な側面についても言及しておきます。
統合失調症の人間が発病前と発病後で
「人格(性格面)の変化が起きる」というのは
よくあることのようです。

また僕はPTSD(心的外傷後ストレス症候群)に似た
症状を「中学2年生のいじめのときから」感じています。
犯罪や事故などの「目に見える分かりやすい出来事」では
ないため診断はされませんが。

人の顔を覚えにくい(記憶の障害、短期記憶の欠落)。
何か一つのことに集中すると、その他への注意が
散漫になる。
本に書かれている情報はすっと頭に入るのに、面と向かって
言われた言葉は忘れやすい。
周囲からサポートされていない、分かってもらえないような
感覚(孤立感、疎外感)。
ものごとへの警戒心が強い(俗に僕が対人恐怖と呼んでいる
もの)。

発達障害とか、統合失調症の「認知機能障害」に分類されても
おかしくないですが、
僕はこの中学2年のいじめ以降にがらりと変わったので
これは後天的なものだと僕は解釈しています。

そしてホーリーランドの影響か
「その恐怖に対して反撃しなさい」的な癖もあります。

説明は以上になります。

次からの連載はテレビゲーム「To Heart」にしようと思います。

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非公開コメントをされた方へ

先にこちらに対して答えておきます。

スピリチュアルの方面の以前のコメント、ありがとうございました。
こちらも話していて僕も楽しかったです。
現実では「宗教はトラブルの元になるから、話してはいけない」
という前提があるので、うまくコメントを非公開にできる
インターネットならでは会話できたことでした。
僕も嬉しかったです。

ゲーム「To Heart」の話ももっとしようと思います。
ぜひ読んでください。

コメントありがとうございました。

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長期的視野

水島広子さんの本を読んで僕なりに学んだことが
あります。

「目の前の相手(友達など)に勇気を出して
話しかけなくてもいい。ただ親などの重要な他者へ
小さくがんばる、勇気を出す一歩を踏み出し続けなさい。
そうすれば長期的に見れば徐々にあなたは変わっていける」

この言葉を支えにして8年くらいがんばってきました。
目の前の相手がどれだけ苦痛を訴えようと
無視して(過剰反応せずに)がんばるのが
僕の全てでした。

それを誰からも理解されないというのは辛いです。
皮肉を言われたり
論理をそらされたり
「あなたは『重要な他者』にしか話しかけないね。もっと
ほかの人にも話かけてごらん」
と言われたりしても

「絶対に嫌だ」と決意して、自分のペースを貫きました。

あなた方の「勇気を出せ(誰に対しても)」のアドバイスが
効かなかったから、僕は追い込まれました。

やっとここまでできるようになったんだ。
それを「薄い(もっと濃くなれ)」と言われるのは困ります。

前述の知人にはこう切り返しました。
「ただ僕の反応を薄いと言及するばかりで
『どうすればきちんとした反応ができるようになるのか』に
ついては言及しない。これでは自分を変えていくことが
僕はできません」

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暴発

寂しい気持ちになりました。

僕のかつて感じていた環境は
だったらやってやろうじゃないか」や
などで述べたはずです。

「どうして諦めてしまうのですか?
1万回だめでも、1万1回目には何か変わるかもしれない
じゃないですか?」

昔こう言われたときに僕はこう返事しました。
「それはドリカムの『何度でも』の歌詞ですね。
僕はがんばりを止めてはいませんよ。
僕があの歌を自分なりに替え歌すると、こんな感じに
なります。
『何度でも 何度でも 何度でも 立ち上がり
叫び続けるよ 助けての声を』
がんばる方向を方向転換するだけです」

冷静になれていない部分があるので、今日はこれまでにします。

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優しさを削られた(サッカー)

「明るい文章」の続きです。

コメントありがとうございます。
昔の僕のことを「優しい人」で
今を「他人の苦しみに無関心」であると、思っていると
すればそれには解説が必要です。

2007年前後はサッカーの掲示板に携わっていたことも
あり、中高生と思われる方からの相談にも積極的に答えて
いました。
今は一人残らず消えてしまいましたが。

僕が感銘を受けた「高岡英夫さん」の著書を読んだかたの
疑問、質問に僕なりに(答えられる範囲で)答えていたら
突然、掲示板に書き込みを受けました。

「ゆる体操は高岡英夫の商標登録であり、無資格での指導は
法律違反です。なおきさんは資格はお持ちでしょうか?」

僕はびっくりして反論を返しました。

別の時期にも僕を
「脅かす」「攻撃する」「論理の矛盾を突いて、僕の自信を
砕こうとする」としか思えないようなコメントを数多く受けました。

そして我慢の限界を迎えることになります。
パソコンを開ける気力が失せて、ホームページ
(内気系とサッカー系)を閉鎖し、ブログの更新も
休止した時期が10年近く続きました。

「お前らのことなんか知るかよ」
そう言いたい気分でした。
「人の精神を踏みにじっておいて、まだ『もっとがんばれ』
的なアドバイスしか言わないのか?」

俺がいなくなった後のあなた方のサッカー人生に
何が起きるかとくとお前の目で見届けろ。
そう心の中で叫んでいました。

僕の善意、優しさ、励ましに対して
「ご本人から」は温かい反応が多くの場合、返ってきました。
しかし大人(とおぼしき第三者)から
意地悪、皮肉、からかい、八つ当たりみたいな
コメントやメールを受け続けました。

今回の記事はこれで区切ります。

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どしたん(どうしたの?)

僕の父親は慰めや「話を聞く」スキルが低いです。
例えば
「あー疲れた。少し休みたいなあ」と僕が
愚痴のような一言をつぶやいたとします。

すると父は「どしたん!(関西弁でどうしたの?の意味)」
と大声で突っ込みを入れるケースが多いです。

こちらは非常に悲しくなります。

「本当だね。ゆっくり休んだらどう?」
「お茶でも飲んでくつろいだらいいよ」
みたいな世間話で穏やかにその場を和ませることを
しないのです。

弱った(このケースで言えば、疲れた)僕に対して
力強く「どしたん!」と言われるのは僕には苦痛です。

僕以外の家族も不快なリアクションを示していました。

次第に僕は父に対して心を閉ざすようになりました。
不満を感じても「父親がそばにいたら」
何も言わない。
精神的にイライラしても「どしたん!」の一言が嫌だから
SOSの一言を言わないでおく。
そんな癖がついたのです。

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大野裕と統合失調症

大野裕さんの書く「エッセイ」には、統合失調症が
登場することは稀です。見たことがありません。

大野裕さんは精神科医です。
認知行動療法などの普及に努めている人です。
僕は彼の書いた文章を新聞や書籍などで目にする
機会がありました。

「うつ病」「不安障害」に対して述べられることがほとんどで、
統合失調症への言及がない。
精神科医が統合失調症の知識を持たぬことはあり得ないの
ですが、やはり見ません。

「統合失調症」という単語を(病名を)
重たいもの(一般読者には難しい)と判断して
軽い文章(うつ病や、日常の心がけなど)
を書くことに徹する。
それが大野さんの執筆方針なようです。

これで「○○と統合失調症」のシリーズは一区切りです。
次からは少し違う文章を書こうと思います。

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斎藤一人と統合失調症

「変な人の書いた成功法則」から
「普通はつらいよ」まで僕は
お弟子さんを含めた著書のほぼ全てを読んできました。

統合失調症についての言及はありません。
斎藤一人さんは「経営者」であり、障害者雇用とかで
統合失調症者に接する機会はあったでしょう。

なおネット上の動画で一部ヒットするものがあるので
最近の活動は違うかもしれないです。

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高岡英夫と統合失調症

前回記事へのコメントありがとうございます。
ヒントがもらえたような気がします。

現代にもし高岡英夫さんが生まれたならば、彼は
統合失調症と診断される可能性があります。
仕事力が倍増するゆる体操超基本9メソッド」や
すべてはゆるむこと」などの
高岡英夫さんの昔話を参考にすると

「著しい無気力を感じた。しかし気楽に行える
ゆる体操を自分で開発してからは、その無気力が消えていった」
「信頼に値する他人がいなくて苦しかった。でも佐川幸義や
塩田剛三の映像を見て答えがつかめた」

などのエピソードは昔の僕と共通する部分があります。

もし高岡英夫さんがゆる体操でも無気力が改善せず、精神科
に行って医師にそれを訴えたならば
統合失調症の薬を投与されるはずだと僕は推測します。

高岡英夫さんは戦後まもなくの生まれです。
ちゃんと高校大学を卒業していますし、その後の社会での
活躍もしています。
ですから統合失調症ではないでしょう。

昔の「精神病院に隔離して、社会から断絶させる」という
精神医療の方針には当てはまらないと思います。
でも彼の「身体意識」を中心とした理論は妄想と判断される
可能性はあります。
あくまで「未完成な時期に、精神科医により診察を受けた
ならば」という前提での仮設です。

話は変わりますが
「薬とリハビリによって治っていく」
現在の統合失調症の医療の現実では
高岡英夫さんの本の読者は、統合失調症の人が
一部いるはずです。

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明るい文章

コメントありがとうございました。
そうですよね。叶わない夢ってありますよね。

これからも読書、いろいろ続けてみてください。
応援します。

思うところがあるので読者の方へ質問です。
僕はこのブログで「明るい文章」書いた方がいいですか?

「真面目すぎて怖い」趣旨の言葉を(ネット上ではない
です。対面で)言われました。
最近、知人にです。

「あなたの反応は薄い(共感のリアクションが少なめ)」
「辛かった過去の話を打ち明けても『そうですか』程度の
コメントしか返ってこないので、寂しくなる」
「あくまで適度に、ではあるが明るく返して(返事をして)欲しい」

そのような言葉を言われました。

僕は「ホーリーランド」や「カムイ伝」を読んで育ったものですから
「苦しくても誰も助けに来ないのが当たり前だ」
などの考えを持っていました。

2008年以降、医療のサポートを受けるようになってからも
「心に寄り添ってもらえていない」的な寂しさを
感じるときがあります。

その上記の言葉を言った人物は、僕と距離をおくように
なりました。

訓練すればできるようになる、とは思うんですよ。
でも「やりたくない」のです。

この世に今苦しんでいる人がいるのに
その人を無視するような形で、幸福な環境にいる数人が
「冗談を言って、今に意識を向ける」
「他人の苦しさから一時的に目をそらそうとする」
みたいな行為。
僕はやりたくありません。

「今日も蒸し暑いですね。皆さんは体調大丈夫ですか?」
「今回のお話は『A』です。」
「以上、ありがとうございました。」
例文はこんな感じです。
伝わるでしょうか。

常に弱者の側に立ちたい。
彼ら(彼女ら)を忘れたくない。
勉強不足はあるでしょうが
「身内で明るく楽しくパアーっと盛り上がる」
行為は控えたいのです。

この記事へのコメントはいつでも大丈夫です。
また、複数の方からもコメントお待ちしています。

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佳川奈未と統合失調症

佳川奈未さん(をはじめとする、自己啓発書著者たち)と
統合失調症は僕は関係ありました。

「あなたの夢は、上手にイメージングできれば必ず
叶う(実現する)」

よく登場するフレーズですがこれには欠陥があります。
「時間制限つきの夢は、当てはまらない」
ということです。

例えば僕は「プロサッカー選手になりたい」
「この高校サッカー部でレギュラーになりたい」
などの夢をかつて抱いていました。

この夢は正確には
「高校卒業後に高卒ルーキーとして、Jリーグチームに
入団したい」とか
「留年やお情け(監督に土下座してお願いするなどする)なしに、
自分の本当の実力でレギュラーの座を掴み取りたい。高校サッカー
の引退(高校3年生の秋)までに」
という意味です。

大学卒業後にプロチームに入団するとか、社会人サッカーに
所属してプロテスト(入団テスト)で合格してプロになる
夢も少し考えましたが、何となく感覚的にしっくりきません
でした。

僕はイメージングを繰り返しました。
しかしその夢は叶いませんでした。
非常に落ち込みました。

「奴ら(成功哲学書の著者たち)の言っていることは
嘘だ」
というふてくされた、反感のような気持ちになりました。

これが他者の励ましを拒絶し、統合失調症を発症させる
大きな側面になりました。

「人生経験が足りない」と感じます。
アスリート(勝利など結果を求められる運動選手)の世界を
「外から応援することしか知らない」
人たちには、この世の本当の姿は見抜けないままでしょう。

「私の息子は高校でテニスの試合に出たいのです。どうすれば
その夢は叶いますか?」
と質問を受けた杉崎仁志さん(成功哲学書著者の一人)は
「どうせなら大学でレギュラーになる(試合に出る)ことを
目指しましょう」と著書内でアドバイスしていました。
前述の僕のケースと重なります。
ずれたアドバイスになっているのが分かるでしょうか。

「私たち2人は同じ人を好きになりました。双方がイメージング
を繰り返しても、結局1人しか結ばれないのではないでしょうか。」
という相談にも杉崎さんは
「確かに片方しか恋人になれないかもしれない。でも心から
お友達を祝福したり、前向きに現実を受け入れたりする効果は
ありますよ」
と答えていました。
結局夢は叶わないんだね。
「必ず夢は叶う」の杉崎さんの主張と矛盾したアドバイスに
なってるね。
日本語の使い方が間違ってますよ。
冷静になれた僕は今はそう突っ込めます。

統合失調症に願望実現のイメージングは効かない。
「必ず実現する!」のアドバイスには
穴(矛盾点)が複数あるから
「必ず」という単語は使えない。

それが僕の考えです。

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浅見帆帆子と統合失調症

統合失調症の発病と浅見帆帆子さんは関係があります。

「運」「偶然」「プラスのパワー」
「精神レベル」を中心とした彼女の著作の内容に関してです。

あくまで僕のケースです。
最初に浅見さんの本を読んだときは
「ふーん、そんな考え方もあるね」と読み飛ばすだけでした。
しかし体の無気力が強くなり、経済的に困って
精神に余裕がなくなると
「掃除をきちんとやれば、誰かが僕をこの窮地から
救ってくれるかもしれない」
「人間関係で『他人のことをほめる、悪口を言わない』
みたいなことをがんばれば」
「困難から脱出できるかもしれない」
という思考が徐々に強まりました。

そして僕は激しい急性期症状に突入することになります。
「こんなに浅見帆帆子理論に従ってがんばっているのに、
どうして誰も救いに来ないんだ!」という
不満な気持ちからの無気力もとてもありました。

注 これまで
「本田健と統合失調症」
「神田昌典と統合失調症」
と執筆してきました。
某大手検索エンジンからは「ちょっと外れた」
ランク評価をもらってます。
個々の記事が1位評価されるのではなく
10年前の記事が1位になったり
「このブログそのもの」のトップページが上位表示されたりします。

もう慣れましたが
相変わらず不思議な現象ですね。
少し寂しいです。
この記事もそうなるんでしょうか。

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怖くない人

「お前震えているぞ?もしかして怖いのか?」
僕が昔言われたフレーズで記憶に残っているものが
あります。

一度目は過去記事でも書いた警察官とのやり取りです。
二度目は公園の横を通りがかったときの、とある男性との
会話です。(過去記事参照)

2回とも僕の答えは一緒でした。
「当たり前じゃないですか。僕は怖いです。怖いんだから
震えが出て当たり前じゃないですか」

マンガ「ナルト」や「金色のガッシュ」を読んだ経験を持つ
僕としては、ここに「勇気の価値観」を感じざるを得ません。
恐怖を(不安を、恐れを)感じることが
「恥ずかしいこと。弱さ」で
困難に恐れず果敢に立ち向かうのが
「立派で、男らしくて、強い人のやること」だと
解釈する人たちがいるのです。

「メソメソしてんじゃねーよ。男のくせに」
中学2年生のとき、担任だった男の先生からいわれのない
注意を受けたときにこう言い放たれました。
その時僕は涙ぐんでいました。

現在の僕はこの言葉に強い反発を感じます。
「僕はいつまでも『メソメソする弱い男の子』のままでいよう」
「人は怖い場面で怖くなるのが当たり前だ。だから正直に
それを相手に伝えよう」
と考えています。

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神田昌典と統合失調症2

過去の著作のほとんどには言及がありません。
僕は「あなたの会社が90日で儲かる!」から
「成功者の告白」「人生の旋律」あたりまで
神田さんの熱心な読者でしたが
統合失調症という単語は登場した記憶がありません。

それが昔の日本のビジネスのルール(暗黙の了解)
だったようです。

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神田昌典と統合失調症1

神田昌典さんは統合失調症に対して一定の配慮があります。

著書に「障害者雇用」について言及した箇所
(障害者の就労継続支援施設について)がありました。
また本人が経営のアドバイスなどをしているという情報も
ネット上で拾いました。

(次回へ続く)

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本田健と統合失調症3

本田健さん本人は統合失調症ではありません。

次回は「神田昌典と統合失調症」にする予定です。


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