日々の進歩

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まだ癒されぬ子供

昨日、本屋で「子育てハッピーエッセンス100%」という本を読んだ。
すごく感動して、涙が出てきた。

俺が感動したのは、この本のアドバイスが俺のためになったからじゃ
ない。俺がこんな風に子育てして欲しかったな、という気持ちが
内側から沸き起こってきたからだ。

思えば俺の子供時代、母親からほめられた記憶は一度もない。
なぜかは知らないけれど中学校の終わりくらいから、母は俺たち
3人の子供のことをポツリポツリとほめるようになった。けれど
小学校以前にほめられた回数は、ほぼゼロだと思っていい。

やってできるのが当たり前だ。だから(私は)ほめない
ある日そのような言葉を母から何気なく言われてショックを受けた
記憶もある。

俺には才能があった。「頭を使って考える」という才能が。
俗に言う「察しのいい子」というやつだ。
小学校6年で給食委員をやっていたとき。見よう見まねで係のおばさん
のやっている作業(お皿に残ったスープを、大きな容器に戻す、など)
をやってあげたら、すごく喜ばれた。
小学校5,6年で「縦割り班」という、1年生たちを俺たち上級生が
リーダーシップを発揮して一緒に遊ぶという行事があったのだけれど
そこでも俺は見事な知恵を出して、参謀役のような役割をこなした。
みんなから感心された記憶もある。

だが、その能力を母親からは潰され続けた。
「○○をやめなさい!」と母から止められたのなら俺は、いつも当然の
ように「どうして?」と聞き返した。俺のような「察しのいい子供」と
いうのは理由を知りたがるから。その説明された理由が俺にも納得いく
ものであったなら、潔く理解して引き下がる。俺はそういったタイプの
子供だった。

だが母の視点から見れば、俺は「いつも口答えする生意気な子供」と
映ったのだろう。いつもそこから大声で叱られ、無理やり母の言葉に
従うよう強制された。当然俺は反発したよ。
「この前と言ってることが違うじゃないか!」
「どうしてやっちゃいけないのさ!」と言い返した。
そうしたら今度は「そんなの屁理屈でしょ!」と言われて
問答無用で俺の理論を全否定された。

俺ってさ。「屁理屈」って言う言葉の意味、まったく分からなかったん
だよね。俺が筋の通った説明をして、母に俺の考えを納得させようと
言葉を並べて俺の考えを主張しても、いつも「そんなの屁理屈
でしょ!」と言われてそこで議論が終わる。
「そんなの屁理屈でしょ!」
「そんなの屁理屈でしょ!」
「そんなの屁理屈でしょ!」
いったい何回言われたことか。俺はこの言葉を言われるたびに、頭に
「?」の文字が浮かんで、何も言えなくなった。
「この人は、何意味不明なことを言ってるのだろう?」って
気持ちになった。

思えばこの「屁理屈」っていう言葉、非常に残酷だよね。
子供が、子供なりの頭で必死に考えた理論を「屁理屈だ」と言われれば
そこで議論が終わる。子供は自分の理論を全否定された気持ちになる。
「なぜ、自分の主張が間違っているのか」
「どうして母親の言葉に従わなくてはいけないのか」
それをきちんと説明して欲しかった。
そう今も思う。

「お前は黙って、ロボットのように私(母親)の言葉に従っていれば
いいのさ」そう言われているのと同じだよ。
俺は必死で反抗し続けたけど、それでもやはり俺の頭脳は削られ
続けた。

「ある部分においては頭がきちんと働くけど、別の部分については
驚くほどバカだ。何も考えず、『どうして?』と周囲から思われる
ような失敗ばかりする」
これが俺の高校時代までの姿だ。

そしてその症状は、いまも完治してはいない。
いまでも頭のどこかに、使われていない部分がある。これは実感として
分かるんだ。俺自身が未完成なような、全力を出せていないような
物足りなさのような感情は、24時間いつでも感じている。
そう、パソコンに向かっている今でさえね。

俺がこの苦悩から解き放たれる日は、来るのだろうか。
いまも試行錯誤は続いている。
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