日々の進歩

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幸せになるために3

俺がこれまでしてきた努力は、全て「俺が幸せになりたいから」で
あった。それはずっと変わっていない。

俺が大学へ行かずにこの世界へ足を踏み入れたのだって、結局は
「俺が大学へ行っても未来はない」と感じたから。
俺は読書を続けていた結果として、「大学教育、アカデミズム」という
世界自体に嫌悪感を感じるようになった。
「学問風の言葉で書かれた、お堅い本」を読んでみても、感じるのは
「易しい分かりやすい言葉で書かれた本と、言っていることはほぼ
同じだな」っていつも100%感じていたよ。だから俺は
このまま読書だけを続ければ、確実に人間としての進歩を続けられる
だろう。そう思ったから、俺は大学へは行かなかった。

そしてそれは実例が物語っている。
国立大学出身の俺の父親と議論して、俺はほとんど負けない。
国立大学1年生の俺の弟とつい先日メールで議論したけれども、
俺の方が圧倒的に優位だった。
もし俺が俺の興味ある分野である「心理学系」「体育系」の学部に
進学していたら・・・
きっとおれは退屈だっただろうな。
「こんなこと、本で読んで学んでるよ」
「俺は心理50%、体育50%の割合で学びたいんだ。なのに
どうして片方だけに偏らなくてはいけないんだ」
「課題なんて出さないで欲しい。俺はマイペースで、俺の見つけた
課題を取り組みたいんだ。俺は強制されなくたって、自分で勝手に
学ぶよ」
「遊びたいなんて思わない。学ぶことが人生でしょう」
「単位を取るために勉強する、そんな無意味なことはしたくない」
「人間が学びたいと思った分野を、学びたいと思った量だけ勉強する
のが本来の姿でしょう。大学という限られた世界の中で、課題、単位
という枠に縛られるのは俺の性に合わない」

俺は、ずっとそう思っている。

学校教育、ってのはさ。いわば「電車」と同じだよね。
「大勢の人間を、一度に特定の場所まで運ぶ」ための手段だ。
だが俺は「自動車」に載りたいんだ。
「自分が学びたいと思ったものだけを、マイペースで学ぶ」
考えが偏りやすいというリスクもあるけど、小回りが効くし、自分の
ペースを尊重できる。一休みするのも自由。

俺のように「自分で自分を完全に律することのできる人間」にとって。
大学というのはむしろ窮屈だ。
「やる気のない人間を課題と単位取得でもって脅し、半ば強制的に
学ばせようとする施設」が大学である。
もちろん意識の高い人間も多いだろうが、大学教育、学校教育という
全体の姿をマクロに眺めればそれは明らかだ。

だから俺は、大学へは行かない。
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